(11)「リウマチと斜視が完治」 T.A. 49才、男性、会津出身、現在は東京。33年前のこと、恐ろしい難病であるリウマチにかかりました。あちこちの関節が、動かないでじっとしていても病(や)み、特に雨の日はジクジク病んで、身の置き所がありませんでした。歩くのもつらくて、時々こけていました。

中2年生の春に病院に入院して半年がたっても改善しませんでした。父の知人のすすめで病院を退院し、白光治療院にお世話になることに決めました。指が曲がっているリウマチばかりの病人が5人いた病室で、看護婦が僕に向かって言いましたーー「やがて、ああなるんだ」。そばにいた母が涙ぐんでいました。この事件?が退院の決め手になったのです。

白光治療院で、食事の間違いと指導を受けて、週一度の3ヶ月、12回の治療をすすめられました。毎回の治療ごとに良くなっていくのを実感しました。予定の12回治療後に、「良くなっているので、前の病院で診(み)てもらうように」と白光の先生に言われたので受診。リウマチ因子が消失、痛みも取れて、33年間再発してません。

遅れましたが、僕はもう1つの困った病気を持っていました。生まれつきの「斜視」です。この病気の為に、僕はいつも人目を避けるようになっていました。「これも12回治療で治ります。何の害もなく、視力も良くなるので、一緒にやりましょう」との先生の申し出に従いました。すると、10回の治療で完治しました。見えが良くなり、黒い瞳が真ん中にすわり、しかも、左右に自由に動くようになったあの感動は忘れられません。

病院からは手術をすすめられていたのですが、「一度の手術では済まないことがある」。父の、100%成功しますか? という質問に対しては、「その保証はない」という医師の応えに、父はちゅうちょしていたそうです。

高卒後に、白光の先生の仕事に憧れて鍼灸の専門学校に入りました。3年の修行後の国家試験に合格し、国家資格は持ったのですが、更に修業して開業となると大変なので、医療器具の問屋に就職しました。

今も、あの時に「医の道」に進んでいたら、と思う事がありますが、「国家資格を持っても、独立開業してまともにやっていける人はわずか1割」という厳しい現実は、昔も今も変わりなさそうなので、これで良かったのだと思うようにしています。

お陰様で、白光の先生にお世話になってからは、ご指導いただいた食事に注意できるようになり、また、鍼灸の勉強が役立ち、家族ともども大病することなく元気に過ごしています。玄米食は今も続けています。有り難いです。

✳コメント、、、病院からの退院が、大きな分岐点でしたね。看護婦の「やがて、ああなるんだ」という事は、治らずに苦しみもだえて一生を閉じる、という事。治らない医療を続ける必要はないですね。完治の確認がとれた時に、担当の医師が「リウマチが3ヶ月で治る事はあり得ない。どこでどんな治療を受けたのか」尋ねられたそうです。彼が素直に応えると「風邪ひかないように」だったそうです。

その後、医師から私への問い合わせはなく、現代病院の医療にも改革はない。相変わらず薬付け。従来の健康保険制度では、治らずに長引いた方が銭になる仕組になっていた。他の病気についても、薬をのませて点滴をぶら下げて寝せて置くだけで、ひと月○○万円~○○○万円。厚労省指定の難病も、その病人の生涯にわたる経費が健康保険によってまかなわれるので、その経費は莫大になる。国の福祉と健康保険制度は、堕落に向かう傾向ある。最近、80才近い女性の外側斜視と飛蚊症が、5才の女児の内側斜視が完治。双方10回治療。眼球に一切触れず。

実在した心医(民に寄り添う医師)の韓国時代劇に「ホ、ジュン」有り。「馬医」もいい。韓国時代劇の最高峰として「テ、ジョヨン」(DVD67巻134話)をあげたい。7c.強大な唐と対決、独立しながら民主国家建国に命を張った高句麗の気迫ある人々の物語。議会制民主国家でなく王政民主国家?「王による「民が主の国」」がありました。スケールと迫力と切れが他の歴史ドラマを圧倒する。TVで連日放映されている事件ドラマなんぞは子供だまし。特に、ぼっ海国(698-926)の「天統法典」(憲法)に注目したい。「地より低い者はなく、天より高い者もいない」という平等主義は、日本国憲法や福沢諭吉の「学問のすすめ」の原典であるアメリカの「独立宣言」(1776)の何と1100年前のもの❗❗ 「天統(ちょんとん)法典」は➡blog「そう、うつ」のサイト

私達の体は「一つであって無限、無限であって一つ」。私達の体は、大宇宙170億年の歴史の結晶、水や空気や食べ物など全てのものの一大結晶。こうして、ネットを通して対話が出来る事も大事件なのです。真の医療は、大宇宙に根ざした生命全体の健康を目指す「宇宙的全人的医療」です。「天から与えられた生命が、充分に生命する医療」でなくてはなりません。憲法の「天賦(てんぷ)の恵」にも通じます。

私の後継者としての期待もあって、私のところで修行するように誘ったこともあったのですが、彼はのりませんでした。他にも数人、現代病院医療では治らない難病が当院で治り、各種医療専門学校を出て国家資格を取得した青年がいますが、私のところで修行しようという者はいません。銭にならないからか? 私共の「哲学的、宗教的救いの激しい探究」におそれをなしているのか? 関心がないのか? 私に指導力がないのか? 会津ではムリなのか? 淋しさがあります。

T 君の病院からの退院、「医の道」への志しと断念。こうした大事な分岐点が、本当は私達の人生にはたまに、いや、毎日の一瞬一瞬にあって、無自覚のままに見過ごしたり決断したりしているのかもしれません。

(12)「15年苦しんだじんましんが10回治療で治癒」 K.O. 45才、女性、郡山市。 私は、中学3年生から、じんましんに苦しみました。あちこちの病院で診てもらいましたが、良くなりませんでした。食べ物が関係していると思い、東京の大学で栄養学を専攻して、食べ物について学び、料理も努力しました。大学病院にもかかりました。それでもしかし、改善しませんでした。それで、医師会に就職しました。医師会に入ると、じんましんの決め手になる良い情報が入るに違いない、と思ったのです。情報は確かに、たくさん入手できて、「これぞ」と思う有名な大学病院の医師を訪ねました。紹介状と大きな期待を持って。

けれどもダメでした。いろんな薬をのんだのですが、改善しませんでした。その後も名の知れた病院に行きましたがダメでした。東京での病院巡りに疲れ諦めていた頃、郡山市の実家の母から「会津に何でも治してもらえる、すごい先生がいるから、こっちに帰って治療をしたら?」という誘いがありました。有名な病院を歩き回り、私なりに食べ物に努力してもダメだったので、父母のいる福島の郡山市に帰ることにしました。

これまでに、あんなに努力してもダメだったので半信半疑でしたが、もはや行くところがなかったし、母の強いすすめもあって、会津の白光治療を訪ねました。食べ物で驚いたのは、それまでの栄養中心の食事療法ではなくて、「酸味、苦味、甘味、辛味、塩味」の「五味のバランス」が、じんましん治療の決め手であるという先生のご指導でした。治療もこれまでのものとはまったく異なっていました。栄養や薬やワクチン等を「取り込む医療」でなく、体内の毒素や冷え等を体外に出す「排泄医療」がボイントでした。

これまでとは違っている、という私に対して先生がおっしゃいました。「これまでと同じならば治らないし、意味がないでしょう。会津のこんな山まで来る必要がないでしょう。これまでと違うから、治る事が出来るのです。治るという事が出(い)で来(きた)るのです」ーー会津からの帰り道、「これでようやく15年の苦しみから解放されそうだ」と実感しました。

毎回の治療ごとに改善していき、8回目の治療で殆んど完治していました。今までの苦しみと苦労は何だったのか? ーーきつねにだまされたような感じでした。その後、大事をとって更に2、3回の治療を受けました。翌年、良縁に恵まれて結婚。二人のこどもに恵まれました。二人ともじんましんや湿疹がなく、元気に育ちました。私も、じんましんの再発はなく、元気です。助けられました。ありがとーございます。

✳コメント、、「酸味、苦味、甘味、辛味、塩味」の五味のバランスをとる医学を「五味の医学」と私共は名づけています。こんにち、科学的裏づけによる料理やサプリメントが盛んに出回っていますが、伝統的な「五味のバランス」が抜けています。これが抜けてこのバランスが崩れると、私達の血液、体液、細胞液が狂い、炎症やアレルギー反応を引き起こす、と私はみています。こんにち、食物アレルギーや杉花粉症などのアレルギー疾患が増え続けていますが、このあたりに原因があると思われます。

次に、最近の栄養学のテキストで気になるのは、上記の五味の中の「辛味」の代わりに「うま味」を入れている事です。これには違和感を覚えます。「酸味、苦味、甘味、塩味、うま味」を五味としているのです。うま味は次元が違うと思います。日本の科学者、池田菊苗博士が、100年前に世界で初めてカツオ節から「うま味成分」(グルタミン酸ナトリウム)の抽出に成功した事を強調する、その思い入れによるケアレスミスと私は考えます。(うま味成分の発見抽出の翌年に「味の素」販売)。

酸味、苦味、甘味、辛味、塩味の五味には、陰陽五行論に基づいている2000年前の、中国医学の原点ともいうべき大著「黄帝内経素門霊枢(おうていないけいそもんれいすう)」(京都、仁和寺所蔵、国宝) が基盤にあります。五味が、五臓六腑と関連づけられ、その病理関係まで述べられているのです。辛味を含めた長い伝統に基づく五味による「五味の医学」は成り立つが、辛味を外して「うま味」を含めた「五味の医学」が成り立つでしょうか?

現実問題として、辛味のないカレーライスがあり得るでしょうか?「酸味、苦味、甘味、塩味の四味」に辛味(スパイス)を抜いたうま味(味の素)入りのカレーライスがあり得るでしょうか? また、うま味は、伝統的五味の総合的バランスから生まれるものでもありましょう。カツオ節から抽出した単一のうま味成分を、伝統的五味に組み入れる事にはやはりムリがありましょう。

むろん、科学的裏づけによる新しい知見はよいが、伝統を無視した、あるいは実際的現実的に合わない知見は慎むべき、と思います。「木を見て森を見ず」、あるいは「地上の富士山を見て地下の富士山を見ず」、「地上の木や草や野菜を見てその根を見ず」はいけません。近年、こうした傾向が一段と強まっている事に私共、強い危機感を持っています。文化や学問が、人間までも深みを失い、浅薄で味気なく、歪(ゆが)んでいく事に耐えられないのです。これは、科学とその文化が深く関わっていると私共みています。連日、「バカタレー!」の連発です。➡この「体験談」全体の特にNo1の(1)のコメント。

2000年の歴史を持つ「伝統的五味のバランスの狂いが様々な病気を生む」とする説がある限り、この説に立った視点も大事と思います。この体験談の女性が大学で学んだ栄養学は、現代科学の栄養学であり、じんましん克服の決め手にはならなかった事も吟味すべきでしょう。うま味を伝統的五味にどうしても組み入れたいならば、伝統的五味にうま味を入れて「六味」にすべきと考えます。

※ 「腎臓病には塩分控え目」をよく耳にしますが、これも2000年前の「黄帝内経素問霊枢」に既に「腎臓と塩の関係」がのっています。但し、「腎臓には塩が悪い」ではなくて「塩が腎臓の働きをコントロールしてる」という主張です。現代の科学的真理は、とかく断片的で狭くなりがちです。

(13)「C型肝炎が治癒して妊娠。その娘の潰瘍性大腸炎も完治」M.W. 59才、福島市。 ご本人の了解を得てここに発表します。Mさんは結婚して4年、赤ちゃんに恵まれませんでした。私は、Mさんの母親から予め、Mさんが胃の手術の時の輸血によってC型肝炎にかかっている事を伺いました。「娘のMのC型肝炎が治るなら治してもらいたい。できれば赤ちゃんも」というかなりハードな願いでした。

本人が来院された時に、まず、私は「これまで、赤ちゃんに恵まれなくて良かったですね。守られましたね」と申しました。肝炎が治らずに妊娠すると、赤ちゃんへの感染が心配だからです。肝臓が良くなれば、自然に妊娠するとみたので、内臓全体を治療しながら、徹底的に肝臓を治療しました。

10回目の治療中に、肝臓を含めた内臓全体が改善している事に気づいたので、「そろそろ赤ちゃんに恵まれる頃、病院で肝炎の検査を受けるように」と告げた翌月に、恵まれた事が確認されたのです。案の定、肝炎も完治。無事、元気な女の子が生まれました。その後、男の子も恵まれました。

ところが、苦労して恵まれた女の子が7才の時、当院に見えました。病院で「潰瘍性大腸炎」と診断されたが、厚労省指定の難病で、治療法がないと医師に言われた、と母親が言うのです。見ると、その女の子の顔は真っ白で、生気がなく幽霊のようでした。聴くと、アイスクリームと冷たいジュースが好きで毎日とっていたとのこと。肝炎の感染はないとのこと。こうした確認をしながら治療にあたりました。

福島市から会津の当院は近くないので、ムリをせず月に一度ゆっくりと治療する事にしました。10か月後、ゼリー状の下痢便もなくなり、女の子らしく顔が赤らみふっくらになりました。体もできてきました。「健康優良児だ。完治している」、と私共みたので、以前の病院の先生にみてもらい、「治癒(ちゆ)証明書」を出してもらうように話しました。いつまでも、厚労省指定の難病などというレッテルをはられているのは不幸、レッテルをはがすようにとの私の願いから。もう1つは、証明書を大学へ提出するためです。厚労省指定の難病が完治する手だてがある事を知らせ、広めるために。

ところが、変なのです。「確かに良くなっているが、「治癒証明書」は出せない」。「この病気は、生涯、治るという事はない」という医師の説明だったそうです、、、どうやら、厚労省指定の難病とは、本当は治っていても、国の法律と制度上、治る事はない。現代医学では治らないのが難病指定の病気なので、仮に何らかの治療で治っても治る事はない、、、現在、厚労省指定の難病は沢山あります。それも増え続けています。現代西洋医学だけでは治らない病気が沢山あるのだから増えて当然です。医療は病気を治さない事が目的なのでしょうか? 滅茶苦茶!

こうした日本の医療制度の下、難病指定に認定された患者本人の金銭負担は殆どないので、治る治療に努力せずに治らない国指定の治療に専念する患者が出ています。更に、病状が悪化して働けなくなり、身体障害者の手帳をもらって障害者年金で生活している人も出ています。こうした政策を「医療、福祉政策!」と呼んでいるのです。

自らの「人間」の「生、老、病、死」を全国民が、幼少期から真剣に考えるべき時代になりました。これが抜けている教育、医療、福祉は、政治や経済などのあらゆる文化もあり得ないのですが、「人間の人間による人間の忘却」が一段と拡大し浸透しています。

ともあれ、潰瘍性大腸炎の難病に苦しんだ7才の女の子が、今は32才。当院の治療後、潰瘍性大腸炎と診断された病院でみて頂いたところ、「もう来なくてよい」と言われたそうです。その後、殆ど病気せずに元気に暮らして来れて27才で結婚。2人の元気な男の子に恵まれたとの事。あんどしました。

※ 現在の安倍総理大臣も、「潰瘍性大腸炎」といわれています。国家権力を自分に都合のいいように使っている、との強い批判が国民から噴出していますが、この持病が多分に影響していると思われます。「いい薬をのんでいるので大丈夫」と自ら語っていますが、薬による完治はないので持病の影響は、否定できません。問題の本質にきちんと向き合い、適切に対処しようとするエネルギーが乏しくなっているので、問題を軽く流して保身に向かいがち。これが、国民の目には「ごまかし」に見えるわけです。潰瘍性大腸炎による慢性下痢は、生命力と思考力を極端に落とします。ちなみに安倍総理大臣は、五味の中の塩味と甘味が問題。決め手は酸味。

プロ野球のオリックスの足立選手が、潰瘍性大腸炎にかかり入院(2017.9.30)。「治る事はないので、うまく付き合っていくしかない」というコメントでした。当院では1ヶ月で完治するのに、、、

(14) 「低血圧と狭心症、不整脈、全身のかゆみが治癒」T.G. 69才、男性、喜多方市

白光治療院とは、開業以来30年の付き合いです。息子のぜん息がきっかけでした。3年の病院通いで治らず、知人の紹介で訪ねたのです。10回ほどの治療で治りました。以来、家族4人が、つわり、逆子、風邪、打撲、腰痛、花粉症、盲腸(虫垂炎)、高血圧、神経痛等をみてもらい全てよくなりました。

中でも忘れられないのは8年前の私の低血圧と不整脈です。いろいろとムリを重ねた頃でした。体がふらつき白光へ行きました。すると、血圧の上が80、脈が180/1分間でした。「危ない! ずいぶん無茶しましたな!」と先生に言われました。90分ほどの必死な治療後、血圧が100に上がり、脈数が110になりました。安静にして休むように言われて帰りました。その夜、先生が心配して自主的に往診に来て下さいました。血圧の上が120、脈数が90に改善。この時の治療は手当だけでした。

それから数回の治療で元気になりました。現在、月1回の治療で元気です。あちこちのかゆみも、楽になりました。助かりました。これからも生涯、お世話になりそうです。

✳コメント、、上記の血圧と脈の数値は患者さんご本人に確認。当院では、異常な血圧や脈がみられるばあい、必ず治療の前後に患者さん本人に測定願ってます。一度の治療でも改善している事を確認していただくためです。通常、何の薬物も使わずに、一回の治療後に血圧や脈が改善する事はあり得ない事で、「ごまかしやマジック」と思われないためにです。高血圧の上が200を越えている方も、帰りには150になるように努めています。通常は2、3回治療で正常値になっています。

全身のかゆみは、体内の毒素が押し出されているという事で、感謝すべきです。皮膚に出ないで中にこもったら大変!苦労しますね。これは、あらゆる病気に言えます。「病気は異常を知らせてくれる信号。ありがたいもので凄い事」。これが私達に備(そな)わっているから、私達は守られているのです。この「備(そな)わり」は凄いものじゃないですか? 喜び踊りましょう!盲腸は便秘が原因。便秘を治しクリーニングすれば炎症が治り完治するに決まってます。

(15) 「リウマチ完治。以来、34年のお付き合い」J .A. 69才、女性、若松市。

白光治療院とは、開業以来のお付き合いで、34年になりました! 私は小さい時から病気の問屋でした。幼児期から病気に苦しんだ事をよく覚えています。今も、幼児期からのあちこちの古傷が病む事があり、白光の先生にその都度手がけていただいています。

忘れられないのは、白光治療院の開業当初、リウマチに犯されていた私の心身は35才でボロボロ。10回ほどの治療によって体が楽になりました。「これはひどい、今までよく生きてこれたね」と何度か言われました。いつしか薬から離れて元気になっていました。以来、ご無沙汰することがありましたが、何かにつけて通い続けています。

リウマチは完治して再発していませんが、いろんなストレスがかかる毎日。高血圧やら頭痛やら目のかすみやら目の充血、全身のむくみ、風邪やらのどの痛みやら耳の詰りやかゆみやら難聴、耳鳴り、赤子を抱いて尻もちをついた時の仙骨の痛み、腕から手から指先の痛み。つづらご、お腹のガス溜まりによる充満、背なかから足までの痛み、あごや顔のむくみや痛み、前のめりになって転んだ時の手や膝の打撲の痛みなどなど、、あらゆる症状に対処して治療してくださるので、ありがたいです。34年のお付き合いで、家族7人、何百回も色んな病気に全部対処して頂き、その都度良くなっています。

今春、血糖値が上がっていたので、白光さんで集中した治療を受けました。すると、驚きました。血糖値だけでなく、肝機能とコレステロールまでも数値が半分に下がっていたのです。2ヶ月間5回の治療で。

病弱で、若い頃は「50迄生きられるかな」とよく思っていましたが、いつしか69才になりました。それも、この34年間一度の病院入院もなく、わずかな薬で、、振り返ると、年を重ねるごとに元気になっています。これは明らかに白光さんのおかげと思っています。先生とのいろんな話も楽しいです。これからも楽しみにしてます。

✳コメント、、この Jさんは、自己管理に努力されている方で、私から次の予約を催促することは殆どありません。必要がないのです。自主的に予約して来院されるので。「リピーターをつくらない事」を当院の基本方針にしていますが、私が開業して34年。開業当初は35才の患者さんが今は69才です。最近、問題のある高齢者に対しては1、2ヵ月に一度の治療をおすすめしています。健康に長生きできるように、です。実際、薬を殆どのまずに、月に一度の当院の治療で元気に過ごされている高齢者がけっこういます。この Jさんもそのお一人で、優等生です。手書きの表彰状(努力賞)を差し上げましょうか? 私からの「金、一封」も?

(16)「脳の悪性腫瘍、けい椎症、突発性難聴、けい腕症候群、斜視が完治」S.E.70才、男性、会津若松市。 白光さんを知ったのは若松市の総合病院での待ち合い室です。中学生の甥が脳の悪性腫瘍との診断を受けたが、腫瘍が深く難しい場所にある為に手術が出来ないと言われて途方に暮れていた時の事、若松の病院で「白光治療院で脳の悪性腫瘍が治った」という話題を耳にしたのが縁です。すぐに白光さんを訪ね10数回治療で完治。あれから25年再発せず元気です。私は高血圧と頚椎症で頭痛に苦しみ、病院では手術を勧められたのですが白光さんを選び、数回治療で完治しました。中学3年の息子が突発性難聴になった時も2回治療で完治。孫の斜視も完治。家族7人あらゆる病気を治して頂き、友人の心臓肥大と不整脈も治り、本当に助かってます。これからも宜しくお願いします。

✳コメント、、Sさんはタクシー運転手。忘れられないのは、重度の頚腕症候群で車の運転が出来ず、タクシーで何度も病院通いをしていた青年を当院に紹介された事。治りが悪いので見かねて、でした。この青年は当院での一回治療で運転が出来るようになり、2回目の来院は自力で運転。3回治療で完治。「縁のすごさ!」に震えます。

脳の悪性腫瘍は4例あるが、全て完治。皆さん、当院での治療以来20~33年間再発してないのですから「完治」とみてよいでしょう。治療は、いずれも内臓から入りました。頭も頭だけでは出来ていません。近年の脳科学の進歩が目覚ましいとして、脳を中心としたいろんな解釈がなされています。説明はもっともらしいのですが、「ちょっと待ちなさい!」と言わねばなりません。「頭だけで生きている人がどこにいます?」、「頭が頭だけで出来ていますか?」、、、

(17)「原因不明の頭痛とチック病、腹痛が6回治療で治癒」T.H.21才、男性、横浜市。 僕は、中学2年~高校1年の2年間、原因不明の頭痛と腹痛に苦しみました。中2年の春、体育館で友だちとプロレスごっこをやって意識を失ったことがあります。また、カナダのユースホステルの二段ベットの柵のない上段のベットから寝たまま落ちたことがあります。こうした衝撃が原因と思われますが、頭が重くて痛い、首を左に「ピクッピクッ」と振る「チック病」。おまけにお腹の連続した重みと痛みが続いたのです。
大学病院や大きな病院へ行ったのですが、病理学的な原因は不明。いろんな検査にも出なかったのです。薬を続けましたが、頭の奥の深い痛みがとれず、首振りも改善しません。腹痛には手術をすすめられました。腹痛の手術は、脊髄の神経根を切り取るもの、との説明を受けました。父母も僕も「恐怖」を感じ、のりませんでした。

学校へは殆ど行けず、学校からのプリントを寝そべってやっていました。そうした日々の中、母の会津の知人のすすめで白光治療院を訪ねました、、、「頭痛と腹痛は数回治療、首振りのチック病はちょっと時間がかかりそう」と白光の先生に言われました。

驚いた事に、腹痛は3回治療で、頭痛と首振りは6回治療で治りました!その後、再発してません。お蔭様で、高校卒業後に東京の大学に入学、間もなく卒業です。ありがとうございました‼

✳コメント、、危険を伴う手術を避けたのは正解でした。「神経根を切り取れば痛みが取れる」という発想は、あまりに短絡的で貧弱。これで痛みが取れるという確証はなく、仮に痛みが取れても後で必ず問題が起きます。痛みの根っこがそっくり残るからです。痛みにはそれなりの原因があり、感謝して受け止めて、その痛みの環境全体の改善に向かうべき。これが「自然の道理」というものでしょう。痛みは危険信号でありがたいもの。信号機である神経根を切り取るなんぞはもってのほか。邪道の極(きわ)みです。

尚、腹痛が3回、頭痛とチック病が6回治療で治癒(ちゆ)とは、腹痛、頭痛、チック病、合わせて6回治療で治癒です。当院では、複数の病気を同時に治療しています。 ※ T君の今後の豊かな人生を祈ります。

(18) 「肺炎、疲労肝臓、胆のう炎、十二指腸潰瘍、腎炎が治癒」~年を重ねる毎に元気になっている~栗木茂子(本名)、65才、女性、東京(会津出身)。「老化、老化」とよく耳にしますが、私は、年を重ねる毎に元気に若々しくなっています。振り返ると、私は20代でこどもの世話と4人の年寄りの看病に追われる毎日でした。当時は、今のように介護制度はなく、年寄りの世話は全て嫁の任務でした。過労、ストレス、寝不足で、十二指腸潰瘍に苦しんでいました。年寄りたちを看取り終えたのが、S.62年、35才でした。

年寄りたちの看病から開放されてもしかし、私の体調はよくならず、十二指腸潰瘍の出血で2回入院。肺炎、腎炎にも見舞われました。H.11年に白光さんにお世話になるまでにのみ続けた薬の量を考えると、恐ろしくなります。肝臓も傷めていたようです。周囲の人に、「肝臓が悪いのでは?」とよく言われていたので、かなり悪くなっていたようです。

食べたものが、そのままの形と色で排便。便は白色。実家の農家の手伝いで「冷え」も入っていて、股関節が痛くてしゃがむことも出来ず、足の親指がジンジン痛くて歩くのが大変でした、、、ちょうどそのころ、父がはしごから落ちた衝撃で脊椎を損傷して苦しんでいました。病院でよくならないので「白光治療院へ連れて行っておくれ」と父に頼まれたのです。「だまされたと思って行ってみらんしょ」と強くすすめられたそうです。これが、縁。私もみて頂く事にしました。

私の体をみて、「これは肝臓障害の反応」との先生の説明があり、一回の治療で股関節の痛みとあし全体の内側の痛みと足の親指の痛み、全ての痛みが帰りにすっかり消失。正に「神がかりの出来事!」と思いました。「ここで私は健康になれる!」。それまでの薬から離れて白光治療に賭けたのです。

それから、2週の間に4回の治療を受けました。全身がだるくて、寝込むことがありました。が、不思議や不思議!、、3人の親族が亡くなり、それぞれの手伝いに大わらわでしたが、体がしっかり、しゃんとして難なく出来たのです。「食べたものがそのままの色と形で排便」がなくなり、白色の便が徐々に正常になっていきました。

様々な事情で東京で暮らし働くことになったのですが、月に2回は会津に戻って白光さんの治療を受けています。東京と会津の往復を11年続けています。東京での仕事がかなりきついので、白光治療院での治療は欠かせません。なにせ、頭から内臓から足まで一度に全部治療して頂いて、帰りには全部が楽になるのです!そして、2週間、体がもつのです。

それにしても、20年通っている私よりも長く通っていらっしゃる方が、沢山おられるのには驚かされます。先生に命を助けて頂いた、その信頼感の強さを強く感じます。私も、かつては「長生きできそうにない。間もない」と思っていたのですが、年を重ねる毎に元気に健康になっています。病院通いもしてません。昨年の会社の健康診断では、どこも異常がありませんでした。沢山の検査を受けたのですが。検査を今年も楽しみにしてます。

同僚や周囲の人たちに、しばしば「年令よりもずっと若々しい」と言われています。若い頃のあの不健康が嘘のようです。これからも、先生のアドバイスをよく聴いて少なくともあと10年は、元気で働きたいと願っています。そして、寝たきりの老後にならずに、最期までかくしゃくと凛(りん)としている事を願っています。

✳ コメント、、私の知らない様々なご苦労があったのですね。二人の知人を励ましながら、車で当院へ長くお連れして世話された姿に感服してました。栗木さんの存在は、私の支えです。

「白い便」は胆汁の分泌不足で、肝臓と胆のうの働きが悪い事を、「食べた物がそのままの形と色で排便」は、消化器系全体が弱っている事を示しています。「神がかりの出来事」は、私の記憶になし。私にとっては当然の事なので強い印象は残らなかったものと思います。実は、「肝臓障害に関連したあしの痛み」については、2000年前の中国の古典にあります。偉大な先駆者に感謝です。「健康診断で異常なし」も当然。全ての内蔵がよくなっているので。「20年通っている私よりも長く通っている患者さんが沢山おられる事に驚かされる」についてですが、当院では「リピーターを作らない事」を原則としています。始めの数回治療に勝負をかけています。但し、心臓病、高血圧、仕事がきつい方等には、月一度の治療を勧めています。栗木さんは6人のお子さんを立派に育てあげました。

ちまたの「老化」は、多くが間違いです。なるほど、何十年も使い古した体は確かに老化していましょう。しかし、何でも「老化」として切り捨てるのでは、医療は不要です。「老化からの再出発」に向かい努力すべきです。実際に、当院では年令に関係なく痛みや苦痛の殆どが取れています。ここでの栗木さんをはじめ、「体験談」の多くの方々が昔の苦痛を乗り越えて、お元気になっています。つまり、年令を重ね年をとるごとに元気に若くなっているのです。「老化」ではなくて「若化(にゃくか)」が起こっているのです。

但し、80才の女性の妊娠はムリで、死なずに永遠に生き長らえることができる人はいません。こうした点で「老化」は確かにあります。しかし、痛みやしびれ等の苦痛の全てを「老化」として片付けてしまう医療は、医療といえるかが問われましょ。痛みやしびれ等で苦しんでいる若者も沢山います。

あらゆる全ての病気は、「関係の間」に於いて消滅しています。様々な「関係の場」でもって生まれて消えています。本来、私達は大宇宙の「関係の間」に生まれて滅ぶ存在。私達の体は、90もの元素、60兆個の細胞から成り立っていると言われています。この細胞一個の中にも90もの元素が含まれている事が判明されました。毛細血管を含む血管の全長が一人につき10万㎞、地球二周半、一日24時間の心臓の拍動数(脈数)は、70✖60✖24で約10万回! 元素一個を造れる人も、1ミリの血管を造れる人も、心臓の拍動を止めたり動かしたり出来る人もどこにもいません。

また、水や空気や食べ物などの全てが大宇宙の産物です。ですから、私達は、大宇宙の無数の無限の関係の「間」に住まい、活かされて生きている「人間」なのです。人生の目的は何か?、、人間になる事、より正しくは、人間である事に気づく事です。自らの人間に気づく事です。

この、私達が住まう「間」は休みなく動いています。一瞬一瞬、変化しています。この「変化」こそが、時間と空間の本源であり、私達「人間」の本源です。変化によって万物が生まれ、空間(場)を創(つく)る、この前後左右の関係の人間の認識による表記が時間にほかなりません。「時間、即ち、時の間」は、固定しては無いのです。固定した時間(認識)は、私達人間が事象の変化を説明する為の道具です。「時の間」としての時間は人間が作ったもので、固定しては無くて、あるのは「只今の今の変化」とその「間」です。

この「只今の変化」こそが、全宇宙の「私達人間」の本源であり生命です。「関係の間の変化」によって私達人間も変化します。この「変化」がよくなる方向に努力するのが医療の本源。関係の改善によって「間」が変化し、多くの病気が治っていくのです。

具体的には、私達を取り巻く環境の改善。水や空気や温度などの自然的環境があり、労働やルールなどの社会的環境があり、衣食住、全宇宙の無数無限の 関係の間に住んでいるという「関係」は、「相互依存の関係」です。相互依存の関係が真の関係です。「相互依存の関係の間」に於ける「只今の今の変化」によって私達の病気は、よくなったり悪くなったりする。この「間」は「応答と呼びかけの場」。「受動と能動の場」でもあります。

この「変化」がよくなる方向に努力するのが医療です。患者さんと医療側の双方が、本来の、衣食住、労働、精神、生きる様(さま)に向かって努力する。こうした努力の「只今の今」に驚くべき「奇跡、即ち、常識」が生まれます。真の奇跡は、真の常識です。

仏教に「諸行無常(しょぎょうむじょう)」がある。あらゆるもの(諸行)が、常ではない(無常)。「万物は変化する」、「固定されてあるものは何もない」という教えです。これは真実であり、これを否定すれば、大宇宙も私達も文化も、医療も成り立ちません。

万物が変化するからこそ、良い医療(努力)によって病気が良くなるという変化が起こる。私達人間は、「只今の今の存在」でありながらも「過去を踏まえつつ未来を見つめ将来に賭ける事が出来る存在」でもあります。過ぎ去った事(過去)を見つめながら、未(いまだ)に来ない事(未来)が、将(まさ)に来たらんとする事(将来)に私の全存在を賭ける。この営為の途上に、人間の時間認識による時間が生まれ祈りが生まれます。真の医療は「変化への祈り」です。

日本古典文学の多くに、「諸行無常」の思想が流れている。「平家物語」や日本古典三大随筆とされている「方丈記」や「徒然草」にもこの思想が色濃く現れている。特に、後者の2作品の作者は仏門をくぐった人であるが、仏教的哲学的深みに欠けるのが残念です。「人生の空しさやはかなさ」を強調し、心情的、情緒的次元にとどまっているのです。「無常」の変化を積極的動的にとらえておらず、消極的悲観的に強くとらえているのです。

仏教の創始者、釈尊(シッダルタ)の生い立ちが影響していると思われますが、、彼の出家の後に彼の母国が母のいとこのコーサラ国によって滅ぼされ、一族が皆殺しにあった、、仏教には消極性と悲観性が強い。ですのでやむを得ない面があるのですが、「無常」即ち、「変化」の宇宙的ダイナミックスがないと厭世(えんせい)気分に支配されて、肝腎な「悟り」や「救い」から離れてしまう危険性がある事は見逃せません。

個人的経験で申し訳ないのですが、私共、高校の時に教科書に載っていた「方丈記」や「徒然草」の抜粋に強くひかれて全編にぶつかった事があります。当時の私にとっては一大事でした。著名な作品だけに心酔したのです。仏教に真剣にぶつかり、「無常」が「空しさやはかなさ」だけではないと気付く30才迄影響したのです。心ある人に聞いてみると、私だけでなくほぼ全員が無常を「空しさやはかなさ」ととらえていたのです。これは一大事ではないでしょうか?

「諸行無常」がいつの間にか「諸行無情」にとらえられ理解されていたのです。「無情」ではダイナミックスも開けもムリでしょ。「方丈記」や「徒然草」の内容が仏教の色どりが濃いだけに、だまされました。何らかの「希望」や「救い」を密かに期待していた私は「隠者の感想文じゃないか! やられた!」と気付くのに15年もかかったのです、、、教科書は罪作りの働きがあると思います。道元の作品が教科書に載っていたなら、私の人生は変わっていたように思います。

「空しさやはかなさ」を愛(め)でるのは日本人の特性。桜を愛でるように、といった批評を知ってはいるが、桜の花が散った後の、緑の葉っぱがうっそうと茂った真夏の桜を愛でる日本人はいかほどいるものか? 同じ桜なのに?

「生、老、病、死」の本質は、大自然(大宇宙)の中での「一瞬一瞬のダイナミックな変化」です。仏教に触れたかのゲーテさんが、からだを震わせながら叫びました、、、「瞬間よ止まれ! おん身は、あまりにまぶしすぎる❗」(「ファウスト」)。

私達は、常に「生、老、病、死」が問われてあります。これが、願わくば、みみっちい感想文に終わらない事を!大自然の営みを踏まえつつ、周りの一本の草花や一羽の小鳥に思いを潜め、自分の存在に思いを潜めん事を! 正に「野のゆり、空の鳥を見よ!」です。

多くの科学者が何百という星々を発見し、生物存在が推測されて久しいが、未だに一本の草、一個の微生物も発見されていない。私達の身の回りには無数の生き物が、それぞれに100%完成されて生きている。私達は、手が動き、いろんな作業が出来る。歩く事が出来、走る事も出来る。考える事が、読む事が、書く事が出来る。同じ口で、息を吸う事もしゃべる事も食べる事も出来る。これらの一つ一つが、実は大変な事であり奇跡です。真の奇跡は、非現実的な事件ではなくて現実的な大事件です。死は、大自然のダイナミックな創造の故郷に帰る事でしょう。

(19) 「癌化した歯ぐき、全身のかゆみ、腰痛、飛蚊症、高血圧、喉の痛みが完治」Y.K 、75才、女性、北塩原村。「感謝」。 白光さんとの出合いは、主人の紹介がきっかけです。この縁がなかったら、と思うとゾットします。30年前のこと、全身がだるくひどいかゆみに見舞われました‼ 全身が引き込まれそうなだるさと気が狂いそうなかゆみでした。病院回りをしたのですがダメ。見かねた主人が白光さんをすすめてくれたのです。「これは、甘いものの取りすぎ」とズバリ指摘されました。元々、甘いものが好きだったのですが、疲れると甘いもの、の毎日でした。体内を徹底してクリーニングして頂き、日に日に楽になり元気になりました。数回治療で完治したと思います。

数年後、ぎっくり腰で歩くのも立つのも困難になりました。すぐに白光さんを訪ね、帰りにはまっすぐ歩けるようになっていたのにはビックリ。あれから夢中で生きて来ましたが、数年前に体の変調を感じるようになり、白光さんで、頭から足まで全部よくして頂きました。しばらくご無沙汰していたために疲れがたまっていたようです。

70を過ぎたので「健康の維持と増進のために月一度の治療を」という先生のおすすめに従っています。耳鳴り、こむら返り、風邪、頭痛、便秘、喉の痛み、体調不良、飛蚊症、腰痛、血圧の異常等、何でもみて頂き、たいがい一度の治療で良くなっています。先日は、目まいでお世話になりました。天候不順で、「冷えが入っている。夜、きちんと布団をかけて休むように」と指導を受けて3回治療で治りました。

忘れられないのは、歯ぐきが黒茶色に変色し、病院の口腔外科に行った時の事。「癌になりかかっている」と言われ、のみ薬とぬり薬を試したのですがダメ。白光さんを訪ね、わずか2回の治療で歯茎がピンク色になりました! 先生からの特別なエキスも使いましたが。病院にはあまり行かなくなり、村の健康診断でも異常なしでした。

月一度、息子もお世話になっています。高血圧、腰痛、胸のかゆみ、視力低下、安全靴をはいての仕事による足底のトラブル等、全て良くなっています。風邪ひきがまめで時々薬をのんでいましたが、最近は殆どのまなくなりました。かつては、若いのに病院めぐりをよくしていたのですが、今は行かなくなりました。「白光さんで、みんなよくしてもらえるので病院に行かなくていいんだ」と息子が言ってます。

印象的なのは、息子が仕事場でころんで手をついた時に鎖骨を傷め、鎖骨のつけ根が脱臼、飛び出し、痛がっていました。病院では手術をすすめられましたが、「手術が治療の全てではなく一部。これも当院で治る」と言われたので白光さんを選びました。月一度の治療で、全身治療を受けながら鎖骨脱臼(飛び出し)の治療を受けました。半年が経った今、鎖骨の飛び出しはなくなり、仕事中の痛みもすっかり取れたとの事。息子ともども、白光さんでの月一度の治療で薬をのまずに元気に暮らせている事に、この出合いに、心から感謝申し上げます。

✳ コメント、、大変まじめな親子で、私共やりがいがあります。お二人とも顔がスッキリ、サッパリ、とてもきれいになりました。間違いなく元気に若返っています。当院では、新患の初回の治療直後に皆さんの顔がスッキリ、サッパリ、まぶたが二重になり、目がスッキリ、視力も上がっています。顔や目の治療をしなくとも。

よって、著しいあごの変形等を除く美顔整形手術や美顔はり治療は不要です。全体的根本治療をすると顔も良くなるのです。正しくは、頭が良くなると顔が良くなるのです。頭が悪いと顔が良くなりません。顔は頭ですから。

究極の美顔治療は、内臓~肩~首~頭、そして顔です。この一連の気血の流れ(エネルギーと血の流れ)がポイント。顔は目とあごがポイント。血圧もからんでいます。血圧が良くなると顔も良くなります。(血圧降圧剤ではダメ。頭も顔も良くなりません)。当院は、重い難しい患者さんが多いので「美顔治療」どころじゃありません。が、治療の結果、美顔になるので美顔を重視しています。本当は、単なる美顔などというものじゃありません。

(20) 「200を超える高血圧、高血糖、眼底出血、腎炎、全身の痛みが数回治療で改善」稲林 剛(本名)、63才、男性、会津若松市。

白光の先生とお会いしたのは6年前。あの時の事を私は明確に覚えています。当時の私はとても体調が悪く、糖尿病がからんだ高血圧症の上が200~230の数値が普通。降圧剤をのみながらも。両あし全体の痛みとシビレもひどく、東京での青信号に間に合わない状態でした。眼底出血を起こして度々見えなくなり、腕と背中が病んで寝返りも打てず、地獄の毎日でした。

知人の紹介で先生に電話したところ「治療後には、楽になって帰れるように努力します」と言われました。それまでにあちこちの病院や治療院に通った後だったので、半ば諦めていて、少しでも良くなればと思い白光さんを訪ねました。先生の最初の言葉が「普通の人なら、とっくにお迎えが来ていておかしくない状態です。守られましたね。」でした。100分の治療後の帰り、全身が確かに楽になっていました。

数回の治療後、全身の痛みがとれ、血圧も上が110~140に下り、安定している毎日で降圧剤も調節しています。東京での青信号も楽に渡れるようになり、最近は、3、4ヶ月に一度のたまの治療で済むまでになりました! 先生には、月一度の治療を勧められているのですが、具合いがいいのでつい、、

更に驚いたのは、眼底出血も治り、車の運転ができるようになっていた事です。当時、糖尿病の合併症の網膜症が進み、レーザー治療後に電柱等がゆがんで見えていました。「最終段階にきていて失明寸前です。眼底出血を3、4回もしているので手術しか手がありません。大学病院へ行って下さい」と見放されていたのです。大学病院へ行ったところ、まるで「物扱い」。スタッフの横柄な態度に呆れ、検査づけに疲れ果てました。医は仁術という人徳はどこへ消えたのでしょう? 手術を拒否し、白光の先生の治療によって眼圧が下り、「ゆがみ」がなくなり、視力も上がって安定。それも、10回ほどの治療によってです。10回治療によって、高血圧、高血糖、全身の痛みとシビレ、眼底出血も治ったのです。

現在、仕事で会津-東京- 山梨間を毎週、車で往来していますが、眼底出血も心配なくなりました。大学病院での手術拒否後に白光さんで治ったのですが、実はその後、出血を4回起こしました。が、毎回、白光の先生の2、3回治療で良くなっているので安心。

更に驚いたのは、腎臓も医師に「人工透析」を勧められていましたが、先生のおかげで検査の数値も改善し、酒もタバコものんでいます。長年の高血糖も正常になり、病院での治療で改善せずに長年苦しんだ頭皮の湿疹のかゆみも、再発しても一回の治療で治っています。先日は、免許証更新が視力低下で出来なかったのですが、先生の2回治療で更新出来ました。60才を越しましたが、これまでになく元気になり、心身共に生まれ変わった感がします。

摩訶(まか)不思議というか、「なぜ、どうして?」、「先生は、いったいどこからやって来た、何者なのですか?」と真剣に問いたくなるほどに、先生の医療には人間を超越した何かがあります。これが本当の奇跡なのでしょう。

やがて先生は、世界の国々を巡っての「エイズ患者の完治」を試みておられます。それも、(1) エイズという病気だけを治そうとする医療ではなく、(2) 人間の宇宙的生命が充分に生命する医療に徹しながら、(3) 万病が克服されるように治療、応援し、(4) その当然の結果としてごく自然にエイズが完治するという医療です。(5) 一切の薬物を使わずに、(6) 安全に、安価に、速く。(7) こうした事を先生は実際に一人で、100を超える病気を手がけて実証されています。(8) それも、たいがいの病気が数回勝負!(9) こうした芸術的革命医療があることを世界に示す爲のエイズ治療です。(10) 更にすごいのは、「病気発症と克服のメカニズム」を通して「人間とは何か」の解明に迫り、人類の「新しい文明の道の創造」を目指しておられる事です。

何という人間愛、何という大きな哲理でしょう! これこそが真の医学であり、哲学であり、宗教ではないでしょうか!! 先生の営為(えいい)には、これまでの医学、科学、宗教の常識をぶち抜き超越した、全く新しい真理の実践があります。ありがとうございます。本当にありがとうございます。

✳ この体験談は、私共が4年前に書いた本「福島原発事故に寄せて」(渡部 至、三洋印刷株式会社、2013)(稲林さんのご厚意によって自費出版、当院に在庫あり)の寄せ書きの抜粋。ご本人の了解を得て発表させて頂きました。

✳コメント、、「芸術的革命医療」とは、古代ギリシャの芸術の本質「ミーメーシス(mimesis)」、即ち「模倣」、「本質再現」に通じる医療を目指すもので、これも私独自の医療。ここでは深入りしませんが、芸術の医療への転換と実現を目指すもの。「先生の医療には、人間を超越した何かがある」は、正しくは「人間に徹しようとする只中での何か」です。人間を越えた何ものかになろうとするのは「悪魔の誘惑」で、これにのると大きな間違いを犯す! しかし、思想的に幼稚で権威に弱いヒトが多いこの世、人間を越えた何ものかになった方が利口ではある! 大金持にもなれる! 山奥で人間に留まり、ぼやいて苦労するよりも、、

稲林さんの眼底出血は、当院に来られる前に3.4回、当院で4回起こしました。会津~東京~山梨を自分一人で、毎週往復運転は無茶!「大社長なんだから部下に運転を頼んだら?」という私のアドバイスに対して「いやあ、他人の運転は見てられない」でした。眼底出血を起こした時は、血圧がいつも上が200を越えていて失明状態。奥さんの運転で当院に來院。内臓と血圧と目の必死の治療で、翌日はご自分で車を運転して來院。3回治療で会津~東京~山梨の繰り返し。東京では接待でかなりのお酒が入っていた模様。

月一度の治療を怠り、私から奥さんや娘さんにも電話で「大事な人だから月一度の治療を」と何度も願ったのですが、5ヶ月もたって眼底出血や不整脈(一回治療で改善)で來院の繰り返しでした。あのままでは倒れます! 上記の体験談に見られるほどに共鳴され、自費出版の費用負担を申し出られたご仁なのですが残念。ヒトの心もまた無常、なのですが「ホンモノ」に向かう営みを!

少なくとも、日野原医師が提唱した「生活習慣病」、私共が提唱する「根源的関係の病理観と空の医療」が稲林さんに徹底されん事を!

✳ お寄せ頂いた体験談がまだあり、失敗談も予定していたのですが、blogが満杯で受け入れなくなりました。