※「カテゴリー」の『新しい医道の樹立に向かって』には、人類有史数千年の夢であった「万病克復の道」の概観が示されてあります。一切の検査機器及び薬物不要の破天荒な医道です。
※コロナ肺炎、インフルエンザはちっとも怖くありません。当院では通常、1~3回治療によって治り、元気もりもりです。
※近年、心身のバランスを崩しておられる方が増えています。代表的なのが、「躁うつ病」ですが、当院では通常、10回内治療によって治癒しています。詳しくは→「躁うつ病について」をご覧下さい。
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【英語辞典を先生や友人に見立てる英語学習法】
これは、当院の後継者づくりの、小、中生を相手の数年前からの塾での講座をまとめたものです。この小論をそのままに小中生に読ませるのはムリです。しかし、閉じ込めて発表しなければ始まりません。親御さんたちが、成長過程に応じて、かみ砕きながらお伝え願えればありがたいです。高校生にもなれば、自力で読み込んで理解できて、地力がつくでありましょう。
わたくし現在、『 SUNRISE(サンライズ)英和辞典 旺文社』を10冊求めて、当院に縁のある子どもさん━━1歳から15歳の子どもさんに、プレゼントしています。「やがて、この治療院で一緒に仕事をして、苦しんでいる人を助けて上げような」と語りながら、、、相手のびっくりやら、ありがた迷惑やら ⁉ の反応がおもしろい。(後にこの小論を親御さんに送信せり)。
こうしたハプニングが「健やかな文化の伝承」になるのでしょう。スピーディさとスマートさを求めるこんにちの時代にあって、こうした愚直な物語があっていいでしょう。彼らがどんな道に進もうとも、彼らのお役に立てれば幸いです。
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日本人の英語苦手が続いています。その原因として、先ずは、日本語と英語は違いが大き過ぎて相性が悪い事をあげたい。どうしたものでしょう?
さまざまな学び方があるが、最も単純・明快、簡潔・安価な方法をここに提示したい。それは、
(1)英語辞典をかけがえのない先生や友だちにして英語に出会う試み
近年のネット機器の普及によって、「本離れや辞典離れ」が進んでいます。
ネット機器による英語学習は有益と思いますが、書籍の辞典による英語学習が大事です。辞典による英語学習には、ネットによる学びにはないジックリ、ドッシリした落ち着きがあります。語学の学びには、「落ち着き」がなくてはなりません。私達の住まいがそうであるように。
英和辞典と和英辞典、そして英々辞典の3種の辞典によって、英語のエッセイや論文を自信を持って書けるようになる道があります。英語辞典は安価で、いつでもどこでも自由に気兼ねなく使えます。正しくは、「気兼ねなく使えます」ではなく、「気兼ねなく出会えます」です。英語辞典が先生であり友人なので。
辞典一般に言えますが、一冊の辞典には、その著者の全energyが注がれています。なので、一字一句の扱いが丁寧で重みがある。感謝しながら出会い、熟読したいものです。となると、「独学」の意味も変わりましょう。「英語辞典による独学」は、私一人による学びではありません。私の手元に一冊の英語辞典が有るという事には、その辞典を書いた先生がいて、私達の手元に届くまでには、どれほどの資源と多数の人々の努力が注がれてある事か?一度は思いをはせてよいと思います。つたなくともよい、確かな英文を書ける事を願って以下を論じます。
【おまけ そのⅠ】「英語辞典の挨拶文と解説文」との体当たりと取っ組み合いのお勧め。
辞典は楽しいものです。この楽しみはしかし、その辞典の一字一句との、そして一字一句を記したその著者との体当たりと激しい取っ組み合いを通して得られるもの。
先ずは、辞典の始めにある「挨拶文」に、次にその辞典の「使い方や英文法などの解説文」に体当たりする事です。その後の激しい取っ組み合いの格闘による学びは、たいそう愉快で、著者の情熱と息づかいが伝わってきます。ここまでくると確かに、辞典がかけがえのない先生であり、無二の親友になりましょう。
【おまけ そのⅡ】沢山のすぐれた『英和辞典』の中で、語源と語法(語の起源と使い方)に詳しいものとして、『ジーニアス英和辞典』(大修館書店)をお薦め。内容がたいそう豊かです。
初心者の英文法理解に特にお勧めなのが、『 SUNRISE(サンライズ)英和辞典。小川芳男 旺文社1986 年)』。これには、動詞の全てに「英語5文型」が表示されてあります。心強いです。例えば、
go;文型(1)。live;文型(2)。 have;文型(3)。give ; 文型文型(4)。let;文型(5)として。
現在、この辞典の中古品が流通されています。出版年度は新しくはないが、よいものです。但し、上記に示した辞典は日本人が示したものであり、ことばと語法は変化するものなので、誤解や古くささが見られるかもしれません。これは、英英辞典やネイティブスピーカーに当たるとよいでしょう。
引き続き、日本語と英語の相性の悪さを具体的に述べながらその克服を試みたい。
(2)文字が違う。漢字が意味を基盤にする表意文字に対し、英語の文字はローマ字の音を基盤にする表音文字です。
(3)従って、英語辞典とのふさわしい出会い方が求められてあります。たいがいの私達日本人の国語辞典の引き方は、ことばの意味をつかむ事にあり、それが達成すれば「パターン!と閉じて決着」ですね?この方法による英語辞典使用・活用はしかし、生涯にわたって英語力がちっともつきません。私達日本人の英語辞典の使い方(出会い方)を根本から変えねばなりません。
英語学習には無論、英語辞典との出会いに最も大事なのは、それぞれの語の語順と用法。自動詞と他動詞の違いを区分けしながら目的語(名詞)や補語の順序・配列を、そして熟語を、例文などを通してキチンと理解する事です。例えば、上述の『 SUNRISE英和辞典』における “go “についての解説が何と4ページあり、”have”についての解説が5ページに及んでいます!
次に“book”を引いてみましょう。まず、名詞として「本、巻、帳簿」などの意味が出ていてその用法が記載されています。その下段に、動詞(3文型)が出ていて「~を記入する、~を予約する」とあり、その下段にさまざな用法が出ています。特に、熟語に注意したい。熟語を理解するとリズムがついて、英語が楽しくなります。こうした詳しい解説の全てを毎回熟読する必要はないですが、一度はあってよいと思います。「一語にこれほどの用法があり、深みがあるんだ」という事の認識があるのとないのとでは同じじゃないですね?
※ 尚、上記の”熟読”は、相手を想定した”音読”がよいです。周囲の状況・環境が許されれば、音読がよいです。リズムがつくし、覚えもよいです。
(4)英語構文を五つに分類して理解・作文せんとする「英語5文型」を高く評価したい(注1)。これは勿論、英会話の基盤にもなるもので、自らの発言の検証と自信にもなります。
(5)発音が違う。これはしばしば指摘されてきたテーマで、ちまたに優れた本や教材あり。そちらで訓練願います。オンライン講座による「リスニングや発音」に関する優れた講座が見られる。この小論での主題が、英語辞典による確かな英文づくりにあるので、深入りは避けたいが、「リスニングや発音」にしても、英語の構文を無視してはあり得ないでしょう。
(6)但し、ネイティブスピーカーの高速の話しぶりは疑問です。 高速の話しぶりをよしとしてそれを真似させようとする日本人英語指導者が多いが、呼吸法に問題があるのでは?と懸念します。
「息継ぎの間」のない高速speakingは、聴くのに疲れます。又、話し手の肺や心臓に悪影響はないか? 又、話し手と聞き手の双方に言える事だが、ドッシリと落ち着いた深い思考を失い、会話が上滑りにならないか?人間存在の「有り様(ありよう)」にも及ぶ問題です。
(7)「ことば」は伝達の手段か? ことばを伝達手段とする主張にしばしば遭遇(そうぐう)する。これには、トランプ大統領の政策に象徴されるアメリカ文化に根ざす「プラグマティズム(実用主義)」が根底にあるが、こうした人にとっては、私の懸念は、さほどの課題とは思わないでありましょう。そこでしかし、だからこそ問題なのです。人間の存在論や意味論の次元での問題が残されています。「ことば」には、伝達手段だけでなく、人間が人間である事の根源的な「人間存在の究極の住まい・故郷」を示すものがあるからです。
(8)英単語には意味が異なる多義語がある。例えば、spell には、「つづる、呪文、期間、仕事、発作」といった多重の意味がある。
日本語の多義語には共通した意味が関連している事が多いが、英単語の多義語には、意味の関連性がなさそうなものがある事に注意したい。国がらや歴史にも関連していよう。英単語の多義語の中からどの意味を選ぶかは、その英文の前後の文脈からの判断になります。
(9)英単語の品詞に注意したい。例えば、英語学習において私達は「そのスペルは?」という問いかけをよくする。
May I have the spelling,please?(Wht’s the spelling? は、品格に欠ける) といった英文になるが、このspelling(名詞)に注意したい。May I have the spell,please?は【×】です。”spell”は間違いで、正解は spelling です。spellは名詞でなく他動詞なので、spellを用いるばあいは、How do you spell the word(your name)?「あなたはその語(あなたの名前)をどのようにつづりますか?」のようになりましょう。従って、「そのスペルは?」という日本文の問いかけは、正しくは「そのスペリングは?」にすべきです。
(10)英語は語の「つなぎ」が大事。語順にからむ「品詞と前置詞」が決め手。
これには、英語の「名詞の格変化の変遷・歴史」が関係します(注2)。古い英語(シェークスピア以前)には、豊かな「名詞の格変化」があったといわれています。名詞の格変化によって文をつなぐ事が出来るので、厳格な語順は不要でした。しかし、シェークスピア以降の英語は、「 I.my.me 」、「you. your.you」といった人称代名詞の格変化を除いた「名詞の格変化」が全てカットされて、SVOに成り、厳格な語順が必要になりました。同時に、助詞(後置詞)ではなく前置詞が必要になったという経緯があります。前置詞で名詞をつなぐ為に。
構文上、SOVには後置詞である助詞が、SVOには前置詞が必然的に求められてあります。日本語が前者で、英語が後者ですね。
私はこの町に住んでいる。 I live in this town.
ちなみに、私は前置詞を名詞の前につく前名詞、後置詞(助詞)を名詞の後につく後名詞と理解し、後進に伝えています。(以下、これに従います)。ついでに、副詞は「おまけ」としてよいでしょう。
英語のSVOの基本構文の確立と名詞の格変化の排除に伴う前名詞の多用によって、英文が単純化・論理化されて平易になったので、英語が世界的言語に普及したものと思います。こうした点で、実は、英語は難しくなく、非常に簡単です。文の作りが非常に論理的であるので、この点での文法を身につければよいのです。
「英語の文法を軽視する英語指導者」をよく見かけるが、危険です。英文の骨組みができない恐れがあります。私達日本人にとって、あくまで英語は異質な外国語です。a) 日本文と英文の 違いを理解し、 b) それぞれの語の「正しいつなぎ」、即ち、構文(文のつくり)を理解しょうとする文法は欠かせません。骨格づくりです。これが出来ると、英作文は無論、日常会話も自信がつきましょう。
こうした事がキチンと分かると、日本人の英語苦手の克服の道が開かれそうです。
従来、こうした指摘と指導が不足していました。特に、名詞の格変化に伴う前名詞の指摘と指導はありませんでした。これは、若いネイティブ先生にはムリ。日本語と英語の根本的な違いを学んだ日本人の先生の仕事と思います。
【おまけ そのⅢ】
世界には沢山の言語があるが、どの言語も、「誰が何をしたか(するか)?」、「何が何をしたか(するか)?」という主語と動詞が基本です。ここでの動詞の配置によって世界の言語が2つに分かれる。同時に、前名詞と後名詞(助詞)が決まります。
a)SVO→前名詞(前置詞)を持つ。英語等のラテン語系の言語。
b)SOV→後名詞(助詞)を持つ。日本語、朝鮮語、トルコ語、ハンガリー語等。
この分類が分かると外国語を学び易くなると思います。
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(注1)「英語5文型」の起源は、イギリスのオックスフォード大学の語源学者であるC.T. Onions が1903年に発表した「An Advanced English Syntax(上級英語文法)」という本にあると言われています(ウィキペディア)。
【解説】
英語の5文型は、主語(S)、動詞(V)、目的語(O)、補語(C)の組み合わせで構成されます。
第1文型はSV(主語+自動詞).
Birds fly.
I run.
第2文型はSVC(主語+自動詞+補語).
I am a boy(主語+be動詞(不完全自動詞)+補語).
I live in this town(主語+完全自動詞+前名詞+名詞).
I will go to Tokyo tomorrow(主語+助動詞+完全自動詞+前名詞+名詞+副詞(おまけ)).
自動詞には、live やgoのように自ら完結する完結動詞とis やare の be動詞 のように、完結しない不完全自動詞の2種類がある事に注意したい。不完全自動詞の後には補語(補う語)が必要です。
※第1文型と第2文型→自動詞を持つ。 次の第3文型~第5文型→他動詞を持つ。
第3文型はSVO(主語+他動詞+目的語(名詞)
I have a pen.
I love you.
I like hot milk.
動詞の直後に名詞がつく動詞を他動詞といいます。「名詞を動かして名詞に働く動詞」と捉えてよいでしょう。
goやcomeなどの完全自動詞は自ら動いて完結。完全自動詞の直後には名詞がつかない。完全自動詞の直後に名詞をつなぐのが前名詞(前置詞)です。自動詞+前置詞→他動詞化する事に注意したい。
第4文型はSVOO(主語+他動詞+目的語+目的語).
He gave me a pen(第4文型)→He gave a pen to me(主語+他動詞+目的語+補語の第3文型)に変換出来る。
第5文型はSVOC(主語+他動詞+目的語+補語)。
He made Meg his wife.(彼はメグを妻にした)。
We let us go→Let’s go(私達は私達を行かせよう→さぁ、行こう!)。
We Let us try it→Let’s try it !(私達は私達にそれをさせよう→それをやろう!)。
make America great(first).(他動詞+目的語+補語)(アメリカを偉大に(第1に))。
【おまけ そのⅣ】「自動詞と他動詞の用法について」、次の分り易い例文をあげたい。 「メグと結婚したい」の英文は、次のどちらが正しいでしょうか?→a) 1will marry with Megu. b) I will marry Megu. 正解は、b)です。 ”marry” は自動詞でなく他動詞なので、withという前名詞(前置詞)が不要 。私達日本人は、「メグと結婚したい」の「と」につられて、 with を使いたくなりがちですが with Meguは間違いです。(引っ掛け問題としてテストに出されやすい例文)。不確かな場合は、さあ!英語辞典に出会い、確認しましょう。
するとmarryには、他動詞の用法の他に、自動詞の用法もありました。He married young.(主語+自動詞過去+補語(形容詞))。(彼は若くして結婚した)。同一の動詞が、他動詞だけや自動詞だけをもつ場合があり、両方をもつ場合もあります。
「get married to Megu(Meguと結婚する)」というフレーズもあります。
(注2)「名詞の格変化」とは?例えば、ドイツ語の名詞の格変化は、主に定冠詞の変化によって表されます。名詞の語尾にも格を表す語尾が付きます。名詞の格変化は仏語やロシア語、ラテン語にも見られます。
以下、独語の格変化について述べますが、英語学習には覚える必要はありません。名詞の格変化とはこういうものという事をご理解戴ければOKです。
【独語の格変化】
主格(1格)は「〜が」に相当し、定冠詞の男性1格は「der」、女性1格は「die」、中性1格は「das」などがあります。
属格(2格)は「〜の」に相当し、男性名詞と中性名詞の2格では名詞に「-s(ま
たは-es)」の語尾が付きます。
与格(3格)は「〜に」に相当します。
対格(4格)は「〜を」に相当します。
※名詞の格変化はこのように非常に複雑。英語の名詞の格変化の排除による「英語5文型」の単純明快なる構文は、人類の歴史上の一大事件と言えそうです。
【おまけ そのⅤ】カタカナ文字の横行は危険?
昨日4月14日、衆議院予算審議委員会で、立民代表である野田氏が石破総理大臣に詰め寄る場面があった━━「トランプ大統領をアローンにしておいてよいのか?と。アローンとはalone(一人ぼっち)のことだと思うが、ここまで英語にする必要があるのか。TV等における近年のカタカナ文字の増加を異常と感じ、憂いているのは私だけでしょうか?単語の意味合いとしては、日本語の方が英語よりも遙かに深いのに、カタカナ文字が増えているのは何故か?カッコいいと思うのか?アメリカの占領政策の一環なのか?いずれにせよ、長い歴史と深い意味を持つ日本の語を大事にせずに、薄っぺらなカタカナ文字を多用するのはいかがなものか?日本人の、或いは人間の「存在基盤」を失うのではと案じます。
以上。私が英語論文を身につけようとして独学?した「気づき(悟り)」です。如何でしょう?
※ 当院のウエブサイトの「英語版」の英文は、私の作品で、英語辞典を頼りにしたものです。
※ 英和、和英、英英の三種の辞典によって作った随筆や論文をネイティブスピーカーにチェック願う事をお薦めしたい。その際は、クセのない英米人がよさそうです。
※申し遅れましたが、英語は、5c、イギリスのブリテン島に渡ったゲルマン系のアングロ人、サクソン人、ジュート人の3部族のことばが融合して誕生したとされています。
英語は、比較的新しい言語で、ラテン語を母胎にしながら、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語等の影響を受けながら変化し、今も進化しています。
ともあれ、英文の構文(語のつなぎ)が非常に論理的である事は、幸運です。「論理的に学ぶ道が開かれてある事」を意味するからです。
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【 英語学習における ”ことば” の哲学的探究 】
「英語ペラペラ、検定試験で高得点を!」といった勧誘をしばしば目にする。しかし、英語のエッセイや論文づくりの案内は見かけない。中、高合わせて6年、大学を合わせると10年間もの長期間、英語を学びながらも、英会話が出来ない事の問題点を指摘する英語指導者はよく見かけるが、英語のエッセイや論文づくりが出来るかどうかを問題にする指導者は見かけない。これ又、不思議で問題でしょう。現代の学問と文化の軽薄化が進んでいるのでは?と案じます。
神仏を殺し、何万年も引き継がれたであろうお日様崇拝(太陽信仰)を忘れた現代。私達の存在基盤の順位を「天地人」から「人地天」に転換。神の如くに「我が物顔」に振る舞って、何の疑問も持たずに「自己実現」や「自己完成」とやらに終始している様(さま)を見るに、学問と文化の軽薄化は驚くべき事柄ではなく当然の事態ではありましょう。「人間至上主義」が蔓延し、天地大宇宙に対する畏れと感謝を忘れた当然の結果でありましょう。
最近、トエックで800点をとると外資系企業に就職できて、年収1000万以上になる。英語が出来ないと世界の競争に負けて哀れな人生になるといったオンライン講座も出現しているが、「神なき時代」の没落を感じます。欧米のこんにちの非常に危険な事態の根源にも、人類が神々を殺し、人類が神にのし上がった結果の「虚無主義」の苦悩があります。
人間が、「計算する犬や猫」に堕して、人間性向上と人格の高まりを失った結果です。日本も「対岸の火事」ではありません。近年、強く見られる「訳が分からない殺傷事件」や「相手は誰でもいい、殺してみたかった!」といった無差別殺人事件は、「虚無主義」の典型です。虚無主義者にとっての相手は「餌」です。虚無主義者は絶えず「エサ」を求めてさまよっている事に怖さがある。「一人で死ねばいいのに」といった忠告は全く意味をもちません。
こんにちの日本の政治や経済の歪みや無気力が指摘されているが、根底には、全世界を覆っている「虚無主義」のたいそう根が深い厄介な問題が潜んでいます。教育、農業、医療も深刻です。この超克(乗り越え)が急務なのだが、偏差値アップ教育に毒された政治家、役人、医師にはムリな相談。大手マスコミも「虚無主義」の問題にはちっとも触れない。この私どものHPは、全編が「虚無主義」との闘いともいえます。
この世の「現象界」での一つひとつの「出来事」が出来事として「出(い)で来(きた)る。いできたる」、その根源の次元の「根源界」での「事(こと)」のリアリティ(真理)の一端が、「事のは(端)」として「ことば」になり、「言葉」に成り得る可能性があります。言霊信仰(ことだましんこう)もあります。他方のこうしたことばの根源の次元の「根源界」での深みを知らずに、ことばを単にコミュニケーションの手段の道具と捉える人は、「現象界」での表層的な「手段と利用の人生」に明け暮れて、心的・霊的変革がない限りはそのままに生涯を閉じます。自分自身の存在も手段化され利用されたままに。
「根源界」はしかし、「現象界」なくしてはあり得ず、「現象界」は「根源界」なくしてはあり得ない。両者は一体であるその故に、「気づき」が大事なのだが、気づかない人が多い。気づかなくとも、強烈な自我の強化と拡大は可能であり、この世を手段と利用の対象にして豊かになる権利が、現代の多くの先進諸国では憲法でも認められてある。
ことばやこの世を利用の手段にする生き方は、生存確保の自我の本能的働きによるもので、ちょっとした教えによる伝授が可能で伝わり易いが、根源界の気づきの伝承は困難である。共同体の強固な文化的土台づくりと教育が求められてありましょう。
個人的には、ことばを伝達手段とする事に踏みとどまるか、それとも、ことばが生まれる「事(こと)」のリアリティ(真理)のその根源の次元にまで踏み込むかは、人の、あなたの自由です。しかしながら、この ”自由” が問題で、欧米の血みどろの闘いを経て獲得した歴史的体験に乏しい私達日本人には特に要注意です。”自由”の重みについて考えない人が多い。
”自由”を2種類に分けて考察すると分り易いと思います。一つは、民族的、歴史的、宗教的、社会的、性的などの抑圧と差別からの解放としての自由。他方は、私達の存在自体に関わる苦悩からの解放としての自由です。前者は、壮絶なフランス革命からアメリカの独立宣言へ、そして現代に至る歴史的経緯に示されてあって、理解しやすい。客観的に示しやすく、テーマにしやすい。かなりの改善が見られ、その成果が独立国の増加やその憲法等などにも見られる。問題は、他方の「私達の存在自体に関わる苦悩からの解放としての自由」です。これは、人間の主体性がからむ問題で、最も身近な問題であるのに気づきにくい。私達は、毎日休まずに人間をやっているのに ”人間” について、じっくりとことん考える人は少なく ”人間” が置き去りにされやすい。私達人間の‴性(さが)”でありましょう。この論述にはかなりの労苦が伴うが、見逃がす事は出来ません。何らかの糸口(入口)はないものか?・・思いを潜めましょう。
それがありました! 縄文縄文時代と弥生時代を経た1万5千年余にわたる日本独自の文化の根底にある「自然道」と2千5百年前の釈迦牟尼仏陀(しゃかむにぶっだ;釈迦族出身の尊い覚者)の「生老病死が空(縁起;相互依存の関係)である」という二つの教えです。
天地自然のダイナミックな道理・摂理(せつり)・縁起を忘れた努力は、私達の人生のみならず、政治、経済、農業、教育、医学、学問等のあらゆる文化を軽薄にさせ、脱線しがちです。
本来、私達は天地宇宙の大自然の子。自然から離れた考え方や生き方はあり得ません。水や空気のみならず、衣食住の全てが、大自然の恩恵によって与えられてある。それも、無償です!しかしながら、私達はこうした恩恵を忘れがち。「厳粛な天地大自然のかの深淵(しんえん)なる恩恵」を失い、「自由」を振りかざして親である大自然を利用するだけ利用して知らんぷり・・・天地大自然からの請求書もなければ、天罰もない。日本国憲法の序文には「自由の恵沢(けいたく)をもっての不戦と主権在民」とうたっているが、「自由の恵沢」とは何なのか不明。(アメリカの『独立宣言』では、神から与えられたものとされてある)。
「天は、善人にも悪人にも分け隔てなく無償で恵みの雨を降らせ給うている」。この一大事に対する私達の無関心を、放置しておいてよいものでしょうか?天罰はないでしょうか?天罰はないにせよ、自業自得や因果応報はないでしょうか?
英語学習の教材や講座は、かようなテーマには決して触れない。こんな説教?をしたのでは人が集まらず、商売にならない→本来の人間の探究が置き去りにされる。近代科学が、客観的真理を得る為に、「人間の善悪等の価値観」をカットして「本来の人間の探究」を置き去りにした事に加えて、現代のビジネスも「本来の人間の探究」を置き去りにしている→ニヒリズム(虚無主義)が一層深まりましょう。
“プレゼンテーション”(ある企画の発表)という語がこんにち幅をきかしているが、実は恐ろしい語である。この語源が “present(プレゼント)”であるが、これが問題。pre(事物が前に)ー sent (送り出された)である。sent は sendの過去分詞と思われので、present は「人の前に送り出されたもの」です。
present の何が恐ろしく、何が問題なのか? それは、ある事物の「あるがまま」の様(姿)ではなく、人為によって「人の前に差し出されたもの」である限り、人の都合によって変化されたものである事です。( 他説があればお知らせ下さい)。このpresent に相当するドイツ語が vorstellenであり、vor(前に)-stellen(立てる)、「事物を(研究者の)前に立てる」です。M.ハイデガーのいう近代科学の客観的数量的思考法の基盤になっている最重要語です。
人(科学者)のvorstellen によって対象化され、一方的に分析・調査されたその事物の研究成果は、「人の生活の利便」にたいそう都合がよく、エゴイズムを拡大、こんにちの巨大な物質文明を築きました。
近・現代の華やかな物質文明はしかし、1万 3千発もの核爆弾をも産み出しました。クレイジーなとんでもない時代に生きている私達は、どのような生き方をすべきでしょうか?生きる意味や価値があるのでしょうか?正義が成り立つのでしょうか?こうしたテーマは大変です!事物の現象面のうわべの結果だけを捉えて真理とする近代西洋学問・文化のエゴイズムの危険性を激しく訴えた先覚者として、西田幾多郎、鈴木大拙、西谷啓治、梅原 猛、M. ブーバー、 M. ハイデガー各氏をあげたい。
日本の代表的文学者としては、北村透谷、芥川龍之介、太宰 治、夏目漱石をあげたい。諸氏の「命がけの苦闘」には敬意を払いたい。
日本は資源に乏しい国で、科学技術によって生きていくしかないという主張の下、「科学万歳!」が、明治以降ずっと叫ばれてきましたが、「大いなる反省」が求められてあります。経済界でも、「日本の30年にわたる停滞」がこんにち強く指摘されていますが、根源的超克(ちょうこく;乗り越え)には、近代科学・技術の姿勢・思考法の危険性の超克が求められてあります。
身近な例として、こんにち、病院で常識的に行われているレントゲン、超音波、CTスキャン、MRI等による画像検査は、形として視覚化されたものの検査であって、病気の1/10ほどしかつかめないものです。残りの9割の病的根源要素である、皮膚の異常、筋肉の緊張やシコリ、冷えなどは全く映らない。こうした画像検査を診断の一部の材料に位置付けるのはいいが、これを診断の全てにして絶対化している現代西洋医療は、とんでもない「間違い;関係の間の取り方の違い」をおかしています。病人の病苦をレントゲン、超音波、CTスキャン、MRI等を通して切り捨てています。切り捨てたところから治療に入るのだから、治りが悪いのは当然。私達の最も身近な痛みやしびれ、だるさや目まい、難聴・耳鳴りや視力低下などの病気がそっくり残されるのです。present とvorstellen の典型です→『新しい医道の樹立に向かって」
近代文明を支えてきた近代科学・技術の姿勢・思考法の危険性の問題の代表例として、もう一つ、「医療における塩の問題」をあげよう。高血圧症の原因を「塩分の過剰摂取」として、塩をワルモノにしてきた。しかし、「ちょっと待った!」。塩のお陰で心臓が動き、神経が作動している現実を何としょう? Nacl(塩化ナトリウム) のナトリウムを爆弾に、塩素を私達の飲み水の滅菌・消毒に使用している現実を何としましょう?現代西洋医療に欠かせない「点滴」の基本成分が塩で、こんにち大量に使われている化学薬品も、塩がなくては作る事が出来ません。窓ガラスのガラスや車のタイヤも、工業用のダイヤモンドも。
10数年前の日本の塩の消費量が約1千万トンで、全国の家庭用と食品加工用を除いた工業用が何と85%の850万トンです。塩がないと、日本の、全世界の工業が停止します!こうした塩の凄さと恩恵を知らずに、或いは知ろうとせずに、高血圧症における塩の問題だけを取り上げてきたこれまでの医療は疑問です。狭くて浅すぎます。しかも、「降圧剤は一生のみ続けよ」は異常ではないでしょうか?(当院では薬物なしで200mmHgの方が1回治療で150mmHgが実現)。最大の問題は、これほどに塩の恩恵を受けていながら、塩に対して悪口をたたいて知らんぷり。ここに、どんな喜びと幸がありましょう?どんな医療が期待できましょう?
「現代は、物は豊かだが心が貧しい」としきりに言われてきたが、この命題そのものに問題がないか、疑問です。「物が豊かで心が貧しい」はあり得るのでしょうか?その「物」とは何か?その物についての何をどのように知っているのか?我々人間にとって都合がよいように勝手に理解・解釈し、利便化させて利用している限りでの「知ったかぶり」の「知識」ではないのか?
あらゆる物を我々が煮ても焼いても、どのように加工しても、多くの物は反抗しない。動物には反抗が見られるが、人の能力と技術でもって抑え込んでいる。石や土や草木も全く抵抗しない。100以上もの元素や無数の分子も煮ても焼いても、どのように結合・分離させても動物のような反抗は見られない。我々人の自由のおごりは止まらない。そして、1万3千発もの核爆弾を抱え込む羽目に陥ったのです。
「現代は、物は豊かだが心が貧しい」も誤った常識のようです。
私達は、「自然の子」。水や空気のみならず、衣食住の全てを大自然のダイナミックな生成消滅の恩恵によって活(い)かされて生きている。こんにち流行りの腸内細菌も凄い!1,000種類の100兆個もの細菌と共に活(い)かされて生きている存在です。驚きと畏れ、そしてそこに潜む縁起(相依関係)に気づきながらの新たな人生と学問・文化を提唱したい。
英語の学習案内が、とんでもない案内に変わりました。英語学習にも、実は、これだけの深い問題がからんでいます。英検やらトーエックやらトエフルやらの点数がどうのこうのといった時代じゃありません。私達は、明日をも知れない時代に生きているのです。イヤ、英検やらトーエックやらトエフルやらもいい。満点もよし。但し、以上のような様々な課題に取り組みながらの英語の学びと探究がホンモノでありましょう。
以上、まとめのヒントとして、英語学習のみならず、日常の全ての営みにおける大事として、大宇宙のダイナミズムに根ざした「自然道」と出会いの関係における”畏れ“と”縁起“をあげたい。この世の全ての事物の現象の生成・消滅の根源としての「自然道」に踏み込みながらの”畏れ“と”縁起“を第一義とする学問・文化の創造を繰り返し提唱したい。科学には、近代科学を超えた量子力学や宇宙物理学といった現代科学が登場しています。ここに希望があります。
東洋文化の奥深さを広めんとした岡倉天心さんの THE BO0K OF TEA (『茶の本』)、日本人の拠り所になっているという新渡戸稲造さんの SAMURAI(『侍』)、難解な仏教の悟りを英語によって全世界に広めんとした鈴木大拙さんの膨大な著作が遺されてある事も忘れたくないものです。いずれも、「近代の苦悩」を背負った明治の哲人による英文の名著ですが、英語辞典なしの完成はあり得ないでしょう。 又、こうした哲人の英語学習の動機と願いは、トエックテストで高得点を稼いで高収入をではなかったでありましょう。
最後に、英語の最高の模範テキストとして、『英語聖書』をあげたい。聖書を英語学習の手段にするのは問題ありですが、キリスト教とのご縁の一つのきっかけや入り口としては認められるでしょう。又、キリスト教が抱える多くの問題はさておき、欧米の聖書の英語翻訳事業には、私達日本人が想像できないほどの大変なenergyが注がれました。『英語聖書』を英語の最高の模範テキストとする事に異論はないでしょう。『聖書』なので、日常会話にはない硬い表現がありますが。
日本国憲法の英語版の熟読、熟書(じゅくしょ、造語: 何度も真剣に書く事)もいいと思います。ついで、新たな憲法の英語版を自らつくるのもいいでしょう。
おまけにもう一つ、私が20Cを代表する名画として推薦するものに、”Brother Sun, Sister Moon ” (1972年イタリア・イギリス合作)があります。自然も内容もスタッフも、この世のものか?と思うほどに美しいのですが、その歌と会話の英語も美しい。お見事です。まだご覧になっていない方には、お薦めです。ネットで求める事ができます。
尚、この映画の主人公フランシスコは、イタリアのアッシジのフランシスコ(13c)で、日本の歴史教科書に登場するフランシスコ・ザビエル(16c)ではありません。先日、他界されたフランシスコ教皇は、フランシスコ・ザビエルが創設したイエズス会に属する「イエズス会のフランシスコ」です。
「清貧と平和」を旨とするアッシジのフランシスコの精神は「アッシジの修道会」を生み、アメリカにも波及。現在のアメリカの「サンフランシスコ」の地名の由来にもなっていると言われています。「アッシジの修道会」の建造物が、2000年に世界遺産登録されました。
臆断が許されるならば、アッシジのフランシスコはカトリックに分類されているが、異質です。「太陽を兄弟とし、月を姉妹として、小鳥や兎やキツネ、そして、コオロギにも話しかけていた」というその感性と心情は、西洋人よりも私達東洋人に近いもので、キリスト教信仰よりも自然の神秘を究めようとしたレオナルド・ダ・ビンチやキリスト教につまづいた後、浮世絵を通してであるが、日本人の自然な姿に憧れ続けたゴッホに通じるものがあるかもしれない。「キリスト教か自然道か」のテーマが迫ってきます。 R7. 5. 18 合掌
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再び、”present” は、おそろしい言葉です。天は、善人も悪人も区別なく無差別・平等に、我々が生きていくのに絶対に欠かせない水や空気、衣食住の全てを我々に無償で与え給うている。
それらを我らが、煮ようが焼こうが、何に使おうが自由。我々に任せてある。天にも届かんとする巨大建築の建設や月や火星での居住の試みも容認。科学技術による新たな技術の開発も自由。無数の様々な物質の化学反応による新たな人工物質の製造も自由に認められてある(化学薬品も)。核弾道ミサイルの製造も黙って容認しています。
ここで我々は、二者択一が迫られてあります。天の絶対平等の無償の愛を「天の恩恵」と受け止めるか、「人の当然の権利と受け止めるか」の二者択一です。「神なき時代」と評される現代、後者の「人の当然の権利」とする「人、至上主義の精神」が圧倒しています。ここです!
日本国憲法の前文に「我らと我々の子孫の為に、諸国民との協和による成果と我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する…これは人類普遍の原理である」とあるが、ここで問題なのは、「自由のもたらす恵沢」です。日本国憲法の土台であるはずのこの文言の内容の説明が全くなく、不明なのです!不明なままに「人類普遍の原理」とする浅薄さと危険性の指摘がこれ迄にあったでしょうか?(尚、上段の「諸国民との協和による成果と我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し」は、文脈上「諸国民との協和による成果と我が国全土にわたる自由のもたらす恵沢を確保し」が望ましいと思います。「我が国全土にわたって自由」→「我が国全土にわたる自由」)。
案の定、現在、取りざたされている「コメ問題」も、「コメ5㎏を3千円にする事の是非を問う議論」に集中していて、上述した根源的議論が全くなされておらず、浅薄です。
天の絶対平等の無償の愛の「天の恩恵」を忘れた、「人、至上主義の精神」の横暴が止まらない。万物を単に利用するモノとして見なし、利用するだけ利用してポイ捨て。消費経済による消費生活に何の疑いも持たない時代があった。「消費経済による消費生活」もおそろしい言葉です。我々人が、この世の万物を勝手に自由に消費する権利をいったい誰が与えたのでしょう?誰によって与えられたのでしょう?
しかしながら、我々は「万物の利用」なくしては生きていけない。present なくしては生きていけない。天の絶対平等の無償の愛を「天の恩恵」と受け止めるか、「人の当然の権利と受け止めるか」の二者択一を見直して、一体化させる試みはないか?但し、基盤はあくまで、天の絶対平等の無償の愛の「天の恩恵」に置くことによる「人の権利」である。消費経済による消費生活に反省が見られてリサイクル運動が、かなり浸透している。エネルギー問題も真剣に論議されている。
人の権利だの、能力だの、幸せだの、恋だの、お金持ちだの、学歴だの、社会的地位だのといってもたかが知れたもの。イヤ、イヤ、こうしたものの全てを、天の絶対平等の無償の愛の「天の恩恵」に「戻し返す」べきでありましょう。
※教育と農業についてですが、全国の小、中、校生全員に百姓をさせるのはどうでしょう。机に座っての「よい子の勉強」は、午前中の4時間で充分。午後は百姓。百姓にちなんで、お日様や土の研究者になれる。雨や風の研究者もよし。土木や測量もよし。倉庫づくりの設計、大工もよし。食品加工と衛生の学びもあり、販売・営業の学びもできる。怪我や健康に関する学びもあり、近年の熊や猿、猪との共存の学習もできる。食料の自給と国の食料自給率の学習もできる。スケールが大きく、豊かで面白い人材が育つでありましょう。
子どもを朝から夕方まで机に座らせて、出来上がった知識を詰め込み、その後に気晴らしの部活や塾通いでは、ろくな人間になれるわけがない。型にはまったつまらない人間が大量に生産されよう。人類の長い歴史の中で、育ち盛りのこども達を一斉に朝から夕方まで机に座らせるという教育があったでしょうか?学歴といっても、日本の大学などはわずか150年の歴史にすぎない。
この世の一番の知惠者と言われたソクラテスおじちゃんが、苦難に満ちたイスラエルの民を導いた幾多のイスラエル預言者が、人類の罪を背負ってはりつけにされたというイエスお兄ちゃんが、身近過ぎる故に誰もが見過ごしていた”縁起”に気づいてその伝道に生涯を捧げた仏陀おじちゃんが、人間としての道徳と理想的国家の樹立を説いて歩いた孔子おじちゃんが、アンチ孔子を説いて逆説的真理を説いた老子おじちゃんが、いったいどこの大学を出たのでしょう?又、どこの国のどの大学へ留学したのでしょう?
私は弟子たち?に言っています━━「東大だ、早稲田だ慶応だというが、こうした時代なので、まぁ、しょうがない。軽く付き合いなさい。そうした大学に入るのは、私が願う人格的スケール・境位・位格からして当然の事なので。但し、そうした事どもにこだわり、とどまっていてはダメ。〇十年も昔に出た大学を鼻にかけて威厳を保とうとするようなみみっちい人間にはならないでおくれ。いつも、社会、国、歴史、人類全体の行く末を考える人間になるように!」と。 2025,5,22