※下記は、一部、未完があります。随時、補完します。 2025.10.10
以下、雑談ですが、つい気合が入り、かなりの論稿になりそうです。皆さん、当初は、まぁ、軽くお付き合い下さい。段々に熟読願います。
非常に危険な世界情勢やら国政やら異常天候やら物価高騰などが、私達を圧迫しています。”希望”が見えず、私達の心身がいっそう弱りそうです。疲れ果て、この世にいるのか、かの世にいるのか、分からなくなっている人も増えています。
日本の経済が30年間停滞、私達の給料が上がっていない状況での物価高は大変。給料が上がっていない状況での物価上昇政策を実施した国は、国民を何と思っているのか?いじめであり、ひどい。こういう時こそ値下げが大事と思い、大幅な値下げを決行しました。
こうした時代にあって、私達の大事は、「健康」です。健康を害し、死に直面すれば一巻の終わり、イヤ全巻の終わりです。しかしながら、ここでの健康志向が問題で、従来の単なる「病気が治る、治らない」の次元の医療は「餓鬼道の医療」であり、いくら努力しても、激しい飢えと渇きの欲望から脱却出来ません。「救いの道」は開かれません。そろそろ目覚めましょう。
「病気が治った、治らなかったの繰り返し」は、何よりも勿体ない。病苦、即ち、「病に苦しむ事が出来るという事」は、「悟り(開け)」に至る絶好の機会が与えられてある事であり、天からのプレゼントです。じっくり味わいましょう。
「正しい健康志向」が、私達に、真に健やかな元気と勇気を与えてくれます。ここで、病気を手がかりにした、病気を通しての「悟り(開け)」をお示ししたく思います。
仏道には、悟りに向かっての過酷な仏道修行がありますが、親鸞聖人(しんらんしょうにん;1173~1263)が説かれたような在家信者向けの平凡な日常生活における「平易な悟りの道」もあります。この「悟りの道」は、しかし、必ずしも平易ではない。何らかの生産活動をしながら社会に関わりつつ悟っていく道には、仏道修行の生産活動をせず、社会と遮断された場での「師匠の下での定められた修行による悟りの道」よりも、実は厳しさがあるともいえそう。こうした難行苦行を超えて、私達の心身を通しての修行の道に、一遍上人(いっぺんしょうにん;1239~1289)の「念仏踊り」がある。明るく軽やかな歌や踊りの歓喜の中での「悟りの道」は、愉快で楽しそうです。
さて、そうした中でも私達には、病気がつきまといます。病気に全く無縁な人はいないでしょう。そこで、ここでは、「病気を手がかりにした「悟り」による吉報」をお届けしたく存じます。こんにち、従来の近・現代医学を超えたものが求められてあります。この超越は、従来の近・現代医学を当初から否定するのではなく、認めながらも超えたものです。keyword は ”人間”と”出来事” です。この2語は、世界に冠たる語です。この世の万物の事象が現れ出(い)で来(きた)る ”出来事”の貴い(尊い)気づきを暗示する語です。 ”人間”である故の「気づき」の語です。一語で申せば ”縁起” です。こうした哲理は、「慈悲の心を持って医療に当たる」といったちゃちなものではありません。「慈悲の心」は無論大事で、なくてはなりませんが、「慈悲の心による医療」といった心情だけでは、近代科学に根ざす近・現代西洋医学との対決とその突破・超越は出来ません。
これらは、本来は、患者さん全員向けのものであるべきです。「救い」は、万人に平等に与えられてあるからです。しかし、現実的にはムリと思います。痴呆ぎみの人やこの世にいるのか、かの世にいるのか分からなくなっている人を「悟り」に導く事は、殆ど不可能です。健康な人に対する導きがままならないのですから…しかしながら又、「万人に向かっての救いの願い」を消してはなりません。親鸞聖人や一遍上人の願いと祈りがあります。ソクラテスおじちゃんの死があり、釈迦牟尼仏陀おじちゃんの死があり、イエス兄ちゃんの死もあります。
ここでしかし、肝腎な私が悟っているのかどうかが問われてあります。如何なものか?━━それは、知りません!? 私は、お寺での仏道修行も、高名な仏者の「悟りの指導」も受けていません。幼少からの人生の苦悩を抱えて、様々な失敗と挫折を体験し、恥をかきながら悪戦苦闘。高校生の時は、修行の為に自ら1週間の断食も体験。大学で宗教学を専攻したが、ちっともつかめず、鈴木大拙、西田幾多郎、西谷啓治、中村 元、N.ベルジャーエフ、p.ティリッヒ、M.ブーバー、M.ハイデガー諸氏の著書に闇雲にぶつかって、30歳になって、ようやく到達したわずかな「悟り(開け)」です。
こうした営為(えいい)の真偽、「ウソかマコトか」は、客観的・数量的に出しにくいもので、「私が悟っているのかどうか?」━━「それは、知らん!?」、或いは「知る人ぞ知る!と応えるほかはありません。しかしながら、私は医療の仕事を通して示す事が出来ます。この事は、一見消極的で頼りなくみえますが、実は、凄い事です。医療においては、悟りをデータ化出来て実証出来ると私はみています。「悟りのデータ化と実証化」は、前人未到の試行でありましょう。30過ぎての「医療の道の修行」は、大変、幸運でした。(この後、「悟り」は抹香くさいので「開け」にします)。
この開けは、「万事の出来事の気づき」です。病気についていうと「○○という病気にかかったが、○○の治療によって治った」という際の「○○の病気にかかった」という出来事、「○○の治療によって」、「治った」という三つの「出来事」の気づきです。この世に、「事(こと)」が、出(い)で来(きた)る深淵なる神秘の気づきです。これは、私が独自に開発したもの(与えられたもの)で、『新しい医道の樹立に向かって』の学位論文に発表しました。
当院の医療は、「悟りの医療」、即ち「開けの医療」です。この語りは、患者さんにはムリと思って長らく黙して語らなかったのですが、単なる病気治しの医療に嫌気をさしたので、又、次世代への「真の医療の継承とプレゼント」の意味も込めて、数年ほど前から本音で語る事にしました。勿論、相手を選びながら。
私達は、様々な病気にかかり、病人に成る事が出来る。故に、病気を治し、健康者に成る事が出来るのです。もし、この事を否定したら、あらゆる医療が成り立ちません。あらゆる医療の根幹であり、原点です。
この気づきは、私達の意識のほんの「ひとひねり」の単純な操作なんですが、私達が「”人間”に気づいて人間に成る事」なんですが、なかなかです。
しかしながら、ある日ある時、こうした事どもに突然気付いてシッカと認識出来たその時、私達は仏陀(ぶっだ)に成り、生まれ変わります。2500年来の釈迦牟尼仏陀(しゃかむにぶっだ)の悲願に目覚め、「目覚めたる者(覚者)」に成ります。(釈迦牟尼仏陀とは、「釈迦族出身の尊い覚者」の意味で、お釈迦様を指す。本名はゴータマ・シッダルタ)。その時は、ごちそうを戴いて、一緒に飲んで歌って踊りましょう。裸踊りもいいでしょう!?
〜 〜 〜 ~
400字原稿用紙1000枚を超えた論文『新しい医道の樹立に向かって』が、2023年3月に完成。現在、1/5に圧縮しての英訳に取り組んでいます。沢山の研究課題があって遅れていますが、バイリンガル版にしての出版を願っています。
会津で開業して間もなく42年、7万人の患者さんの万病と向き合ってきました。
あらゆる検査機器と薬物不要、病名と科目別診療も不要による「10回内治療による万病克服」に挑戦。170もの症例の九割以上が成功しています。(末期の病気と老衰・寿命は除く)。
腰痛、坐骨神経、五十肩、高血圧症、慢性頭痛、喘息、多汗症、無呼吸症候群、不妊症等は、通常、数回勝負。つわり、しゃっくり、コロナ肺炎やインフルエンザは、2〜3 回勝負です。皆さんは、大宇宙138億年の歴史の結晶であり宝なので可能なのです。当然の出来事です。但し、その後、春、夏、秋、冬の年4回ほどの定期治療をお薦めです(回数は病状によりますが)。
第三次世界大戦勃発が噂され、中国や北朝鮮の軍事的圧力のみならず、中国崩壊による不気味な脅威も差し迫ってます。一方の国内政治は寝ぼけていてイライラ。一体何を訴えて何をしょうとしているのかが不明、選挙の時だけ顔を出し、普段は、生きているのかどうかも不確かな国会議員が多いといった日本の状況です。
又、変なストレスが多いこんにち、変な疲れがたまるのは当然と割り切っての対応が求められてあります。その際の様々な病状は、通常、1~2回治療によって完治しています。当初、10回内治療でキチンと努力されてよくなった方は、治りが抜群によいのです。
このように、「万病克服」の長年の人類の悲願が達成されました!?それも、検査機器と薬物不要、病名と科目別診療も不要による「新しい医道」よってです。
このことを目的にしていた訳ではないのですが、愚直な営みの途上、いつしか量子力学の領域・次元に導かれて、前人未踏の破天荒な「新しい医道」が実現されました。
侵略と戦争まみれの人類の歴史の根本相と将来の日本の指針も少しみえてきました。小生、万病克服と同時に、人類の悲劇・惨劇克服の探究も課題にしてきました。
37年前、当地への新築移転の当初からロビーに掲げてある「長崎の平和の像」が語っていましょう。これは、単なる飾り物ではありません!?
どうやら、「病気克服」と「戦争等の人類の惨劇とその克服」には、根源的な共通性・原理がありそうです。これが、ようやくみえて来ました。
病気治療に、人類の悲劇・惨劇克服の探究などの探究は余計な事と思われる方がおられると思いますが、No!です。真の徹底した医療の実現には、欠かせない課題です。こうした愚直な営為があるからこそ『新しい医道の樹立に向かって』が生まれ、皆様との出会いが生まれているのです。そうでなければ、皆さまとの出会いはあり得ません。近・現代の西洋医学の病院での○○年もの受信の後での当院での「10回施術による万病克服」はあり得ません。患者さんの東京や北海道からの来院もあり得まらせん。
こんにちの近・現代の西洋医学による医療は、現象として現れている病状に対処する、いわゆる「対処療法」としては、正しいです。しかし、根本治療にはなっていないので病気が減らない。これは、古くから指摘されてきた事なのですが、改善されていない。
町の医院でも大病院、大学病院でも同じ。近代科学の同じ次元での同じ考え方による研究なので当然です。病理観の哲理が同じで、浅く狭いのです。近代科学の次元をぶち抜いた次元での病理観による医療が求められてあるのですが、それには、哲学と宗教が欠かせません。哲学と宗教の次元における「のたうち回る苦闘」がなくては、新たな病理観の誕生は期待出来ません。
しかしながら、近・現代の西洋医学は、哲学と宗教から独立して発展した苦難の歴史があります。さまざまな迷信や不衛生からの脱却、化学の発達による優れた薬剤の開発等の功績があります。こうした功績は、認めねばなりません。
○○年 アメリカの がワクチンによる感染症の撲滅を高らかに宣言。感染症が完全克服されて万病が克服されたかのような近代医学の輝かしい宣言でした。そして、肉体の病気は克服された!残るは精神の病だけ、、、といった時代状況下、深層心理学が台頭。ユング研究所帰りの河合隼雄さんの「ユング心理学」がもてはやされた経緯がありました。
フロイト、ユングの深層心理学は、人間の「心と身体」密接なつながりを提示した功績は認めるにせよ、いかんせん、歴史的・思想的に底が浅く、心身の病気癒しにどれほどに有効なのものか疑問です。
フロイト、ユングの深層心理学は、「ヨーロッパの終焉」といわれた第一次世界大戦の最中の暗い時代に生まれたもので、わずか100年余のもの。心が身体に及ぼす影響の指摘は評価できるが、無著・世親兄弟の「唯識仏教」には遠く及びません。唯識仏教では、”無意識”が1700年も前に徹底探究されていたのです。
この無意識がしかし、フロイト、ユングの深層心理学と唯識仏教のものは「似ていて非なるもの」。禅仏教の大家、鈴木大拙氏は、当初、ユングに共鳴したが、間もなくユングから離れていった経緯あり。今も、大学の心理学科に、唯識仏教の講座が見かけないのが残念です。見かけたらお知らせ下さい。
? ? ? ? (只今、推敲中です)
しかしながら、先般、コロナ禍による近・現代医学の敗北がありました。各種神経痛の治りが悪く、アレルギー疾患や免疫疾患は増える一方。
又、掃除、消毒、手洗い、マスク着用等の徹底した衛生管理に努力しても、院内感染はなくなりません。抗生剤の大量投与による薬剤耐性菌発生の問題は、コロナ禍よりも遙かに怖い問題であると強く訴える専門家(薬剤師)がいます。かつては効いていた薬が効かなくなっておりお手上げ。なす術(すべ)なく、亡くなるのを見守るだけの状況にあります。
アメリカでの薬剤耐性菌による死者が〇〇年に〇万人。日本でも〇万人が亡くなりました( )。
私どもは、インフルエンザやコロナ患者さんを喜んで受け入れています。治療中、マスク、手袋なし。一度もかけた事がないが、インフルエンザやコロナにかかった事は一回もありません。かかったらどうするのか?──さっさと治せばよろしい。当院では通常、双方とも1~3回勝負です。
ここにはしかし、大事がある。それは、万物の存在論に根ざした徹底した確かな病理観です。感染症も癌などのあらゆる病気も、単独に存在出来ません。
コロナ肺炎ウイルスがコロナ肺炎ウイルスだけで、インフルエンザウイルスがインフルエンザウイルスだけで、癌細胞が癌細胞だけで存在出来ましょうか?出来ませんね?必ず相手が必要ですね?あらゆる細菌やウイルスが生存し、増殖し、感染するには、絶対に相手が必要で、単独では絶対になし得ませんね? ここです!癌やらの病気も同じ、その土壌、土台が絶対にあって、その「関係の間」に病気が発生します。
従って、細菌性・ウイルス性の病気も、非細菌性・非ウイルス性の病気も、万病は「関係の間」に生まれるものなので、細菌やウイルスを単独に捉えてこれらをやっつけて殺そうとする衛生学や医療は間違いです。
「関係の間」の捉え方に間違いがあります。「やっつけようとすればするほど、細菌やウイルスは、姿・形・性質を変えて繁殖・増殖して襲いかかってきます。襲いかかろうとせずとも、懸命に生き延びようとしましょう。これが、細菌やウイルスの変異(変化)による「生き延び作戦」の本質です。
では、どう対処すべきか?━━「免疫を強めればよい!」とオーム返しのような答えが待ち受けていますが、これが問題!非常に曖昧で、「免疫」というお決まりの語で持って十把一がらみでごまかし、、、、
私は答えます━━心身の汚物をクリーニング・浄化する事と。細菌やウイルス及び他の非細菌性・非ウイルス性の万病が、住み着いて増殖して爆発しないように浄化する事です。
心の浄めに関すると、日本神道の「祓え給い、清め給え!」は、間違っていません。(但し、神道は、教義や戒律が希薄で物足りなさ有り。聖徳太子の命がけの仏教摂取にも関係する大問題)。身体の浄めは、当院の治療で実践されていて、邪気のクリーニングもなされているとすると、「心の浄化」にも作用しているかもしれません。詳細は→「根源的関係の病理観」、「当院の治療法}その他をご覧下さい。
~ ~ ~ ~
現在、日本の縄文文明と仏教の縁起論(えんぎろん;無数の相依相関関係による全ての事物(事と物)の生滅の論)、そして、オーストリーのカール・ポラーニの名著(『大転換』、『人間の経済』、『市場社会と人間の自由』)に期待しています。圧巻は、『思想の英雄たち』(西部 邁)です。幾多の天才の「血のにじみ」有り。目まぐるしく変わる世界情勢の善悪と価値判断の土台がもたらされましょう。
日本探究の案内書として『武士道』(新渡戸稲造)、『茶の本』(岡倉天心)、『代表的日本人』(内村鑑三)の3冊にも注目したい。いずれも外国人向けに英文によって出版されたもので、真剣です。中でも、ここでは、『代表的日本人』の上杉鷹山(ようざん)を取り上げたい。
会津藩は、1600年の関ヶ原の闘いに直接は加わらなかったが、西軍についていた会津藩は、徳川家と対峙。白川での一騎打ちの直前に関ヶ原の闘いが勃発しそうになって、家康軍が引き返す。西軍の敗北後、会津藩は窮地に立たされるも、家康軍を追跡しなかった事による温情によって、米沢藩に移住を命じられる。
100万石の家臣を抱えての15万石の、それも自然産物の貧しい米沢藩への移住は、極貧を極め、何百万両の借金を生み、藩の総力を挙げても五両の金を工面できない事がしばしばあったという。(蛇足ながら、関ヶ原合戦の直前、会津藩が家康を追跡したならば、歴史が変わっていたという説あり)。
そうした過酷な状況下、米沢藩主・上杉鷹山は、さまざまな行政改革を行い、神前で自ら鍬を振るい、土木・産業の振興に尽力。理想的な国造りに邁進。藩は豊かになり、一声で一万両を工面出来るようになった。
様々な善政をここでは述べ切れないが、特筆すべきは、鷹山は、改革と産業振興の中心に、家臣を有徳な人間に育てる事に置いた事。武士にも百姓をさせたという。経済と道徳を分けずに一体のものと捉え、「民を慈しむならば、富ももたらされる」という倫理観に根ざした経済観があったという。
鷹山の着るものは木綿に限り、一汁一菜を守り、享年70の天寿を全う━━民は自分の祖父母を失ったかのように泣いた。その様は篳につくしがたい。葬儀の日には、何万人もの人が道にあふれた。合掌し、頭を垂れ、深く嘆き悲しむ声がもれた。山川草木もこぞってこれに和した━━と伝えられています。
かのケネディ元大統領が、「尊敬する日本人は誰か?」との日本人記者の問いかけに、「上杉鷹山」と答えたそうです。記者たちは、聞いたことがない人物に首をかしげたというが、会津に暮らす私達も知らない人が多いので、ここに述べさせて戴きます。
~ ~ ~ ~
【 忘れがちな”縁起”と”人間” 】
聖徳太子の「17条憲法」の第1項の「和を以て貴しとなす」が有名ですが、これが、「縁起を以て貴しとなす」であったなら、日本の歴史が変わっていたであろうに!」と泣き明かした夜があります。
”縁起”は”人間”に並ぶ最重要語で、世界に冠たる語です。ところが、”人間”はあいまいに使われています。私達は、毎日、人間をやっているのに、、、”縁起”は哀れ!私達の「現実存在」の「実存」そのものを示す「命の語」であるのに、今や、すっかり忘れられ死語になっています!”縁起”を多くの方が、「今日は縁起がいい、悪い」といった程度の語として使っているだけ!”和”をも包含する”縁起”に目覚めるべきです。「和の文化」は認めるにせよ、情緒に流れやすく思考の論理性と深みに欠けやすい盲点有り。
例えば、戦後日本の第二次世界大戦の総括の曖昧さ。アメリカ頼りの柔弱(じゅうじゃく)と自主独立精神の欠如。殆ど絶望です、、、終戦直後のアメリカのGHQによる「日本人の魂抜き・骨抜き政策」にしてやられたという主張をしばしば見かける。その一つに、GHQによる7700冊に及ぶ焚書(ふんしょ;焼き捨て)があった。日本人が反抗しないように、日本人の魂を育てた貴重な本をことごとく償却したのである。これは、国際法に抵触(ていしょく)する犯罪で、「三島事件」にも関連。(三島由紀夫氏(1925ー1970)が自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)のバルコニーで自衛隊員にクーデターを促すも失敗して割腹自殺)。
日本人の曖昧さについての面白い作品に『曖昧な日本の私』(大江健三郎ノーベル文学賞受賞記念講演1994年)有り。これは、『美しい日本の私』(川端康成ノーベル文学賞受賞記念講演1968年)にからめた作品で、さて、「私達はいったいどのような日本の私になるべきか?」問われてあるようです。「計算する犬や猫」にはなりたくないものです。「計算する私」は必要不可欠ですが、これを超えた「私」が求められてありましょう。何故なら「私は人間であるから」です。
”縁起”と”人間”にからんだ重要な日本語に”もの事”と“出来る”がある。万事・万物の”もの事”の「事(こと)が、私達人間に出会うと言葉(ことば)になります。「事」の本質を示す言葉(ことば)は、単なるコミュニケーションの意思疎通の手段ではない。イヤ、言葉の根には、私達の生命が宿されてあります。実際、言葉による意思疎通が出来なければ、日常生活も私達のあらゆる活動もストップ、滅茶苦茶になりますね?
”出来る”を大事にしたい。縁起による”もの事”の一瞬一瞬の変化によって、さまざまな事象が出で来る(いでくる)のです。このダイナミズムの凄さと美しさを失いたくないものです。
英語学習によく見聞きする「言葉は、コミュニケーションのツール(道具)なので気軽に、、、」の何という軽薄!「バカタレ!」の典型です。こうした軽さがこんにち、日本全土に浸透しているようで、深刻です。暴言のひと言が人を潰す事があれば、活(い)かす事もありましょう。ついで、近年のカタカナ文字の氾濫が目に余る。これ以上の氾濫は、日本人を破壊するのではと危惧する。
食べ物も大問題!洋食・洋菓子によるミルク顔やスイーツ顔の氾濫と共に。みそ漬けやなす漬の顔にならないと、日本が危ない?!栄養学も、アメリカの農産物輸出の食料政策にはめられた傾向を否定出来ません。日本の畜産のえさ・トウモロコシは、100%アメリカもの。干し草までもアメリカものです。
戦前・戦中の日本男性の平均身長が150㎝台、体重は50㎏台でしたが、なんと、一俵60㎏の俵を担いでいました!平気で担ぐ女性もいました。(現在は一俵30㎏だが、これを担げない男性が多いかも。身長がおおよそ20㎝、体重も20㎏も増えているが、、、)。
こうした事にヒントを得て大成している大リーガーが、日本の山本由伸投手です。彼は、筋肉をつける為のウエイトトレーニングはしないそうです。食餌(食事)も、おそらく、「肉・乳製品中心のもの」ではなさそうです。(情報があればお知らせ下さい)。彼は、同チームの大谷翔平君の陰に隠れがちですが、ドジャースのエースですね?ちなみに、彼の身長は177㎝、体重80㎏。アメリカのガリバーのような大男の強打者を相手に、力みのない美しいフォームでバッタ、バッタ、三振!痛快なり。カブスの今永昇太投手(178cm/79kg)もおもしろいですね?
彼らが背負っている背番号もおもしろい。ご存知のように、姓名鑑定は氏名の画数の数によって鑑定するが、背番号の数にもその選手の運命に関わるenergy・力があるという。注視したい。
ところで、ガムをかむ所作が山本投手にも見られるが、上品に舐めるくらいに願いたい。日本のプロ野球選手にも増えているが、大リーガーにはひどい選手が多い。ガムを大きくクチャクチャかんで、つばを大地に「ぺッぺ!」と吐き出す光景は頂けない。カメラも中断するも間に合わず写し出される、、、長時間の熱戦でのガムによる緊張緩和は理解できてよしとしても、グラウンドやベンチにつばを吐き出す行為は禁止条項にすべきと思います。「がむで大きな風船玉をつくる光景」や、ドジャース監督の「ひまわりの種を口に含んでその殻をベンチで吐き出す行為」も品格なし。皆さんに、ドジャース球団に忠告を願いたいものです。
アメリカの先住民であったアメリカンインディアンは、こうした光景を何と見るか?疲弊(ひへい)した600もの村落を見事に再生させたという二宮尊徳(1787~1856)の教えには、自然と大地に対する畏れと感謝の深い哲理があり、これを抜きにした彼の救済活動はあり得ない。ロシア憲法の序文には「大地への感謝」がある。ロシアの政治はともあれ、ロシアのかの美しい民謡、ドストエフスキーやベルジャーエフ、チャイコフスキー等のかの深淵なる霊魂を思う…
山本由伸投手のピッチングには、太極拳に通じるものがありそうです。太極拳は、大宇宙・自然との一体感による健康を目指すもので、その源は、中国医学の原点であり原典である『黄帝内経素問霊枢』(おうていないけいそもんれいすう;王と医者の対話篇BC2C。写本が日本の国宝)に見られる「導引按蟜療法」(どういんあんきょうりょうほう)にまでさかのぼる事が出来ます。鍼療法は南方で生まれ、灸療法は北方で生まれ、薬物療法は西方で生まれ、刺絡療法(しらくりょうほう;静脈を軽く差す)は当方で生まれ、導引按蟜療法は中央で生まれたという。「導引按蟜療法」は、筋肉の異常を「もみ」や「叩き」、「指圧」などによって気血(きけつ)の流れを整えて健康増進を図る療法で、「按摩」の原点です。『黄帝内経素問霊枢』での「導引按蟜療法」の記述が少ないのが残念だが、「ないものねだり」は控えたい。重大なヒントを与えられてある事に感謝したい。
日本では、「按摩」を差別用語として使用禁止用語にした経緯があるというが、とんでもない誤解です。私見では、この「按摩」こそ、あらゆる病気診断と治療の原点です。これなくして私の医療・施術はありえません。(日本の按摩がフランスに流れて変革を経て逆輸入されたものがマッサージであるという説あり)。
”人間”と”縁起”は、忘れられやすい。私達は ”人間”と”縁起”を知らなくても生きていけるからです。空気の存在を知らなくても生きていけるように。私達は、仮に、空気の存在を知らなくても、或いは知っていても、意識せずに生きていけますね?座禅やヨガの修行でも、自分の心の有り様をくどくど語る人はテレビや本に沢山見かけるが、空気や万物の大事を心底から本当に気づいて、驚き畏れて感謝する人の話は見た事も聞いたこともない。私の認識不足であれば喜ばしいが。
○○○○
「”人間”と”縁起”の復活と再生」、これは、私の生涯の課題にする事にしました。「批判する事は批判されてあり、求める事は求められてあるから」です。ちなみに、聖徳太子の17条憲法には、役人の規律についての条項がありますが、図らずも、『日本国憲法』第17条に、役人の過失による賠償責任がうたわれてあります。
~ ~ ~ ~
小生、77歳になりました。もはやこれで充分。完成、完了と思います。他方、すこぶる健康で、やっと20歳になれた。これ迄の愚直な人生は準備期間で、これからが本番とも思います。
20C最大の哲学者といわれるM.ハイデガーが、「死の先取りによる、人間の真の「現実存在(実存)」の有り様(ありよう)」を訴えて注目されました(『存在と時間』1927)。しかし、実は、その200年も前の日本に、「武士道とは死ぬ事と見つけたり!」がありました(『葉隠』佐賀鍋島藩士、山本常朝。1716頃)。これは、誤解されやすいが、過失の責任をとる為の切腹の礼賛や奨励ではありません。人間の避けがたい宿命である”死”を自覚しての「物事に対する誠実の大事の教え」です。「誠(まこと)に身命を投げ打つ事の大事の教え」です。
”仕事”がおもしろい。仕事と稼ぎは異なります。どのように違うのでしょう?”稼ぎ”は、生活や事業に要する収入を得る為の労働で、類義語として、水揚げ、利益、収益等があります。”仕事”は、「事に仕える事」です。絶えず変化する事象(じしょう)、つまり、「観察しうる形をとって現れる事柄」の「事柄」に正に「仕える」のです。己を空しくして「事(こと)」に謙虚に仕える。すると、その事が応えて、「事」が「事」として動き出す。このダイナミズム(動的変化)は愉快で実におもしろい。
実は、自己と相手の、「私とあなた」、「我と汝」(M.ブーバー)の「神秘的秘め事」が顕現(けんげん)されます。隠れていた「事」が、自らの心身と共に現れます。真の芸術や真に迫る役者の演技もこれです。”稼ぎ”の「稼ぐ事」に、”仕事”を見い出せると、イヤ、上記の”仕事”に気づくと素晴らしい。私達の人生は、大きく変わるでしょう。
大自然と社会の無数・無限の「縁起」によって生を受け継いだ私ども、「よりいいもの、美しいもの、幸福なもの」を周囲や次世代に譲り渡す使命があると願っています。それは、他でもない、私達は”人間”であるからです。”人間”とは、「人と人との間に住まうもの」といわれていますが、しかし、私達人間は、「人との間の関係」だけでは生存出来ません。人に成る事も出来ません。
ここで、安藤昌益(1703~1762 医師、思想家)が思い浮かぶ。彼の思想は「 人間は本来自然の一部であり、自然の循環の中で調和して生きるべきで、そのためには全ての人間が自らの手で農業に従事する「直耕社会」、即ち、自ら田畑を耕し、自然と共に生きる社会であるべきである」というもので、当時の武家社会のみならず、神道、儒教、仏教をも批判していた(『自然真営道』講談社)。明治時代以降、英語の Economy の訳語として使われている ”経済” を単純に「金の流通や利益」と捉え、科学技術の便利さやマネーゲームに踊らされて ”人間” を失いそうな現代の私達への痛烈な警告になりそうです。
”経済”の語源とされる「経世済民」を「経済」に略したのが福沢諭吉とする説があるが(真偽は不明)、略さずに、「経世済民」、即ち「世を経(ととの)えて民を済(すく)う」のままに伝わっておれば、日本の歴史が変わっていたでありましょう。経済学ではなく、「経世済民学」であったならば、欧米の Economy に無条件に巻き込まれる事はなかったでありましょう。これは、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」が、「縁起を似って貴しとなす」であったならばに次ぐ二番目の私の泣き言です。
”経済” という複雑怪奇な「化け物」に果敢にぶつかった人物が、先述したカール・ポラーニです。彼の『大転換』、『人間の経済』、『市場社会と人間の自由』には、二度にわたる世界大戦の根本相に触れるものがあります。
尚、 ”人”は、語源上は「一人の人と一人の人とのもたれ合い」ではなく、「ひとの横歩きの様(さま)」を示すものである。司馬遼太郎おじちゃんが、子供向けの教科書にのせるものなので、長編小説を仕上げるよりもエネルギーを注いだという『21世紀に生きる君たちへ』(大阪書籍『小学国語』(6年生下1987 )は、素晴らしいエッセイだが、「”人”が「斜めの画が互いに支え合って構成されている事」に感動する」という論述に、上述した語源的間違いがある事が残念である。黙認してきたが、このたび、ネットで検索したところ、多くの著名人が賛同・推奨。5社から5種類もの単行本が発行されていて、歌も作られている人気ぶりである状況を鑑(かんが)みて、ここに発表。私、この教科書の出版当初からこの事が気になっていたが、「まぁまぁ、いいだろう」と看過(かんか)してきたという経緯がある。
もっと大きな問題は、最後に「書き終えて、君たちの未来は、太陽のように輝いているように感じた」と締めくくっているが、「君たちの未来は、太陽のように輝く」という根拠が薄く、日本人らしい情緒でもって曖昧に結論づけようとするムリを感じる。
ここでの詳述はできないが、遼太郎おじちゃんの坂本龍馬の英雄談がこんにち疑問視されている。竜馬の活躍の背後に、実は、イギリスのもくろみと巨額な資金援助があったという説が浮上━━イギリスがアヘン戦争で中国に勝ったが、甚大な人的損害をこうむった。この損害を出さない為に、イギリスは日本に対しては「血気盛んな有能な若者を使っての内部抗争による革命を計画」。見事に成功。長崎のグラバー邸の屋根裏部屋での密談を重ねたという。
かといってしかし、遼太郎おじちゃんには誠実な論述による実績があり、全否定は出来ない。戦後の知的左翼系の学者や文人によく見られた、ささいな欠点からの全否定の論法は慎みたい。問題があれば是正して後世につないでいく姿勢が大事で、「全と個」、「伝統と進歩」、「聖と俗」を踏まえながらの「否定と肯定」の探究と議論が求められてありましょう。
~ ~ ~ ~ ~
さて、人間と人の話に戻りますが、人は人との関係だけでは人に成る事が出来ません。人が人に成るには、水やら空気やら食べ物やらの大自然の無数・無限の恩恵がありますね?人のあらゆる経済活動も文化活動も、大自然の恩恵なくしてはあり得ませんね?しかも、自然の恩恵は本来、無償の恩恵です。自然やお天道様から請求書が届いた事はありませんね?
従って、 ”人間”とは、「大自然・大宇宙の関係の間」を土台にした上での「人との関係の間」の存在です。家族や社会の関係の土台には、「無数・無限の大自然・大宇宙の関係」があります。この根っこの土台を忘れた人の営み・学問・文化は、脱線します。この点で、近代の科学や経済、政治、教育、農業は勿論、医学にも大きな盲点がありました。
絶望的です。近代西洋科学の真理は真理に違いなく、その文化・文明は、大そう便利で巨大!人を惹きつける魅力があるだけに深刻です。一般の人心のみならず、学会も経済界も、形や数に現れる現象界の現象に心を奪われて多数派を形成して、各自が自己保身をはかりながら活動する。近代西洋科学の真理が真理として出現し現象化するその土台の「根源界」の大事と正義を主張する哲人は少なく、少数派になりがちです。ここに、現象界と根源界のジレンマの歴史的苦悩があります。
こうした傾向は、近代に始まったものではなく、悲劇を生む事がありました。古くは、ソクラテスおじちゃんの死がありましたが、しかし、近代西洋科学を基盤にした近代西洋文明は、その規模と浸透力・影響力が巨大で、まるで「化け物」です。
二度にわたった世界大戦による核爆弾の出現とニヒリズム(虚無主義)の不気味な浸透は、「人間の根源界」を忘れかけた事による致命的な暴挙の結果であり、絶望です。長い人類の歴史になかった絶望です。しかしながら、マンハッタン計画のトップのオッペンハイマーの指揮の下、原子爆弾の開発に懸命に努力した科学者の中に「核実験成功」の恐るべき破壊力を目の当りにした直後に、日本への原爆投下に反対を声明して動いた科学者が20人?ほどいたという。広島、長崎の惨事を知ったオッペンハイマーは、のちに罪悪感にさいなまれる。核兵器がもたらす甚大な被害を憂慮して、国際的な核兵器管理機関の創設と水爆開発の縮小をトルーマン大統領に申し入れたという。拒絶されたが。
日本の被爆者に1964年に渡米した際に、非公表でオッペンハイマーに面会。通訳として同席したタイヒラー曜子の後の証言によると、その時、彼は涙を流して何度も謝罪のことばを述べたという(ウイキぺディア)。
渡米した湯川秀樹さんのホテルを尋ねたアインシュタインおじちゃんが、秀樹さんの手を固く握りしめて、涙を流して謝ったという。「何の罪もない沢山の日本人を犠牲にしてしまった」と。アインシュタインおじちゃんは、原爆開発には直接の関与はないが、ナチスが核兵器を開発している事を恐れてルーズベルト大統領に、アメリカの早期の核開発を進言。後のマンハッタン計画の礎(いしずえ)になったといわれています。ここで注意したいのは、アインシュタインの念願は、もっぱら、ナチスの狂気の殲滅(せんめつ)でした。ところが、1945年の7月16日にアメリカの核実験が成功する前の同年5月8日にナチス・ドイツが降伏。半ば標的を失ったマンハッタン計画でしたが、日本に向けられて実行されました。こうした歴史の綾(あや)が、アインシュタインをいっそう苦しめました。アインシュタインの場合は、歴史の綾の只中での苦悩でした。
(ブログ:「人類史最大の危険な時代にあって」)。
絶望にはしかし、希望があります。かすかであっても、希望があります。
古人の教えに「目は目を見ず」がある。空の場であり、神の働き場ともなり得る場
五官の全てに言える。総じて、認識は認識を認識出来ない。
激しい痛みで絶叫する真只中に、
痛みを感じるという事は、何を意味し、何を示しているのか?本来の自己
自己とは何か?人や人間を語る際に、「自己」の探究が必要。無数・無限の水や空気や食べ物の無数・無限の元素とその素粒子を取り込んでいる私達の一個の自己、一人の自分は、何故に「一」なんでしょう?60兆個の微生物を宿し、○○の細胞を持つというあなたは、私は、一体、何故に1なんでしょうか?
「無数が一で一が無数」。「無数=1、1=無数」
(只今、推敲中)
私達は、絶望して「ウワン!ウワン! 泣いているその只中」にあって、笑う事が出来ている。「泣き笑い」です。もう一人の自分が笑っているのです。「凄い事」が、出(い)で来(き)てある存在です。「反省」も驚きである。一人の自分を別な自分が見つめる事が出来ている。
こうした事どもに驚き、喜び、感謝しながら ”人間”に目覚めて生き抜きましょう!
〜 〜 〜 〜
【人生の目的は何か?】━━それは、「人間に成る事」として間違いなさそうです。「人間に成る事」を土台にした仕事や学びには、「新しい開け」がもたらされます。これは、私達の家事や雑事を含む万事にいえましょう。
よく、大人は子供に問いかける━━「大きくなったら何になりたいの?」。子供はそれぞれに答える━━「学校の先生」、「パン屋さん」、「プロのゴルファー」…と。
子供が何になろうが、自由です。しかし、”人間”を忘れてはなりませぬ。”人間”を忘れた自由は、脱線します。しかし、その逆は、豊かな実りをもたらすでしょう。
「野球がうまくなるにはどうしたらよいのでしょう?」という質問に、野村克也さん(元プロ野球選手・監督・解説者)が、応えました━━「人間として成長する事」と。
大谷翔平君がいい例でしょう。彼の日ハム時代に、大谷君を指導し、先回のWBCで、日本を世界一に導いた栗山監督にも豊かな人間性を感じます。変に、権威ぶった態度も全くないですね?
視点が変わりますが、アイヌ民族の ”アイヌ” とは ”人間”という意味でした。アイヌ(人間)を追放した人々は、いったいどうやって ”人間” を取り戻したのでしょう?
~ ~ ~ ~
以上が、小生の77歳の到達点です。皆さんには余計な戯言(ざれごと)かもしれませんが、こうしたわずかな智恵と悟りに到達する迄の、大学進学からの資金を思い返すと、5000万円になります。(9校の大学・大学院との付き合い(放送大学含む)。10種もの高額電気治療器購入。2000冊もの蔵書)。これらの出費に加えての「真理の探究」の労力には、計り知れないものがあります。
【医療従事者における、聖と俗の問題】
「医業者は、真の医業を成す為に、神の域に達せよ!」と「西洋医学の父、ギリシャの医聖ヒボクラテス」は、喝破(かっぱ)されました(『ヒボクラテス全集』)。
しかしながら、上記の多額の出費の他に、小生にも支えなければならない肉体があり、家族があり、様々な税金が、とりわけ高額な国の医療保険と介護保険が待ち受けています。この50年間に、病院にかかったのは一度だけなのに。介護なぞは論外。難病奇病や支離滅裂な患者さん相手に孤軍奮闘…病院でダメな患者さんを相手に「10回内治療による万病克服」に挑戦・実践しているのに…
医業には他のサービス業と決定的に違うものがあります。
固定した治療代の場合、懸命に勉強して早く治癒すると収入が減るという矛盾が生まれます。しかも、患者さんがよくなるとバイナラ!です。当初の病気が治り、疲労回復と健康増進の為の定期治療をお勧めしても、努力する方は一部のみ。だからといって、「有り難うございました!又、是非、当院にお越し下さい!」はおかしいですね?
【国民皆保険制度も大問題】多くの問題が潜んでいます。 (1)これは、1961年(昭和36年)にスタートしたので、わずか64年のものです。皆さんは、国民皆保険制度は、ずっと昔からあったもので、国民皆保険制度なしの医療と私達の人生はあり得ないと思いがちでしょうが、錯覚・誤解です。縄文時代から数えての1万数千年の日本人の生命の流れは、国民皆保険制度によってつながったものでしようか?
なるほど戦後、日本人の平均寿命は延びていますが、その主たる要因は、実は、国民皆保険制度や医学の進歩によるものではなくて、衛生の向上の、特に、上水道の発達・普及によるものであるという説が有力です。例えば、アメリカには、国民皆保険制度はありませんが、平均寿命は延びています。日本人の84.04に対して、アメリカが78.39歳(2023年)(Google)。6歳の開きがあります。この開きをどう捉えるか?この場での深入りはムリですが、国民皆保険制度による成果とするにはムリがありましょう。
(2)国民皆保険制度の目的には、「みんなでお金を出し合って、病気にかかった時に安く病院に行けるように」がありました。これは皆さんご存じでしょう。しかし、教育界やマスコミが触れず、殆どの国民が知らずにいるもう一点の目的がありました。それは、医業者(医者)の財政的保護・支援です。
かつての貧しい人々は、貧しさゆえに医者に払うお金がなくて、治療代の代わりに、ジャガイモやカボチャ、ドジョウなどをお礼に差し出すといった事例がしばしばありました。日本には、「医は、仁術(じんじゅつ)」、即ち、「医術は、慈愛を持って病人を救う博愛の道である」という医療倫理が根づいていたので、貧しい医者が多かったのです。宮廷人や上級武士、裕福な商人を手がける一部の医者を除いて。
しかも、医者の社会的評価は高かったが、社会的地位は高くありませんでした。江戸時代の医者は、儒学者に多くみられましたが(儒家医)、その社会的地位は低く、「士農工商」の「工」でした(『日本人の病気観』大貫恵美子、岩波書店)。
『日本書紀』には、歴代天皇の崩御(ほうぎょ)前の病気治療において、多数の僧侶による祈祷はあれど、くすし(医者)による治療の場面は全くない。天武天皇が病に伏した直後「侍医(じい)の他にも伯爵を授けられた」とあるので、臨床にあたったに違いないが、医師による施術の記述が全くなく医師の影が薄い。病状を隠そうとする政治的意図は否定できないとしても、政権がらみの罪障、怨念に凄まじいものがあり、病気を病気として病気だけを扱う医師では間に合わないために医師の出番が少なく、医師の影が薄かったという側面があったようです。
病気の生理的・病理的説明を求めるのは、現代の我々の習慣的常識であって、当時の人々にとっては重要ではなかった。振り返ると、病気の生理的・病理的説明は、現代的な結果説明であって、彼らが求め病気の原因の説明にはなっていない。彼らが求めたのは、病気の原因の除去による治癒であって、病気の原因が、政権がらみの凄まじい執念、怨念、罪障、祟りにあると捉えれば、天武天皇の「神社や寺に珍宝を寄贈。罪人の恩赦。税の軽減。仏像づくり」等々のさまざまな痛々しい「罪障の懺悔やお祓い」も納得できるものがあります。
『讃岐典侍日記』の作者は、藤原顕綱の娘、長子(1079-?)である。長子が堀河天皇(1079-1107享年28)に仕えた6年間の日記が主流をなしている。内侍司の次官である内典侍として、いわば天皇の秘書役を務めたのであったが、両者の間には、主従の関係を越えた男女の関係があったと考えられる素直な表現が多々ある。それだけに、28歳という若さで崩御した天皇への思いには重いものがあり、『日本書紀』には少ない天皇の崩御(ほうぎょ)直前の天皇の病状とその周りの様子を知る事が出来る貴重な作品です。
天皇が嘉承2年(1107)6月20日発病。病状が悪化。7月6日には重態になり、息つきが困難になる。護摩供養と法華経読誦による罪障の懺悔に努める。
「「今となっては、お経を読んでも効果はあるまい。一気に“物の怪(もののけ)”を追い出して移せ」と天皇がおおせになったので、物の怪がつく者を呼び寄せたところ、その凄さはたいそう恐ろしい」といった特異な記述が見られる。当時は、呪文によって病人にとりついている死霊や生霊を引き離して他人に移らせる事によって病気が治ると信じられていたので、「物の怪払い」は当時の当の人々にとっては特異な出来事ではなかったようです。
仏法の10戒の受戒を受けて天皇自ら声高くして法華経を読む。観音経を読誦させる。自ら「南無阿弥陀仏」を唱えもした。かつては『大般若経』の写経もしていた。更に、比叡山・延暦寺で修行を積んだ僧、12人が加持祈祷をするも、7月19日崩御。わずか1ヶ月の闘病で28年の生涯を閉じた。
ここでも妙なのは、この日記の一ヶ月の闘病生活の記録に、医師が一度も現れていない事。やはり、病気を自らの過去世と怨霊の障り、そしてこの世での悪行とによるものとする捉え方が強かったためと思われるます。堀河天皇の崩御の前日に、のちの鳥羽天皇の護持僧・行尊を呼んで祈祷させた。三井寺の僧たちが『千手千眼観世音菩薩経』の読経を厳かに唱えている最中、物の怪が現れた。
「隆僧正、頼豪などが声高く名のりわめく人が正体をお見せになって「先年の行幸ののち、また拝顔したいものだと、慕わしくお思い申し上げていたのに、その恩恵がないので、ご注意をお促し申しあげているのだ」と言うのを天皇がお聞きになって、「確かにこの2, 3年病気がちであったので行幸していない。この病がおさまったならば年内にも行幸しよう」と(天皇が)おおせになった」。しかし、頼豪は堀河天皇の父・白河天皇を怨んで憤死し、堀河天皇の兄である敦文親王を取り殺した。亡霊・物の怪が取り付いて呪い殺した」(『日本古典文学全集26 讃岐典侍日記』小学館1995 p,394, 407p)。
「事の真偽」は量りかねるが、当時の当該者にとっては大問題であり“真実”であったようである。死を間際にしての受戒、物の怪払い、膨大な仏教経典による祈祷等々が行われていたことを鑑みるに、罪障や怨霊によって病気になるとする病理観が強く働いていた事は確かです。(法隆寺を暗殺された聖徳太子一族の鎮魂の寺とした、梅原 猛の『隠された十字架』を彷彿(ほうふつ)させるものがある。また、『平家物語』3の「医師問答」に、平重盛が前世の罪障による病気の困難さを嘆き、宋朝渡来の名医をも斥けた物語がある)。(梅原 猛『隠された十字架』新潮社1972。『日本古典文学全集45平家物語』小学館1994p,226~231)。
病気が罪障・怨霊によって生まれるものとなると、自然哲学を基盤として身体的健康を図る医師の出る幕はなくなる。あっても少なくなるのは当然。こうした傾向は、一般民衆にも強くあったようで、その結果、医者の社会的地位は高まらない事になりましょう。国民皆保険制度による医業者(医者)の財政的保護・支援には、こうした深い歴史的背景がありました。
(3)国民皆保険制度の「相互扶助」の趣旨に反対する人は、まずいないでしょう。小生も反対しません。大賛成です。しかしながら、国民皆保険制度に医業者と国民が甘えてはいないか?かつて、夕張市が財政破綻して、病院の入院ベッド数が著しく減った時期に、死亡者が減ったというニュースに学ぶべきでしょう。
医学は年々進歩しているというが、癌、糖尿病、脳梗塞、心筋梗塞、高脂血症、アレルギー疾患等の多くの病気が、戦前に比べて激増していているのも問題です。日本人の平均寿命が高いといっても、健康に生活できる健康寿命は低く、先進諸国の中では最下位であるという(『ルネッサス』 )。
2023年の国民医療費は46兆6千億円余。一人当たり37万円余という巨額のお金が使われているのに、、、 国民一人当たりの年間医療費が37万円となると、それを負担している私達の医療税金は大変な金額になる。介護保険料と共に、皆さんの給料や年金から天引き。国民皆保険制度の当初の「相互扶助による医療費負担軽減」の目的が怪しくなっていますね?
(4)鍼灸等の東洋医療における現行の国民皆保険制度の問題。これも滅茶苦茶。私ども東洋医療の治療院での鍼灸等の国民健康保険の適用が可能です。しかし、それには、先ず、医師の認可書が必要。医師によって、東洋医療の治療院での鍼灸等の治療が必要と認められる事が求められてあります。
つまり、私どもが、皆さんに、健康保険を用いた治療をしようとすると、医師の認可書が必要とされているのです。10年も、20年も病院医療を受診しても治らずに苦しみ、東京からも来院されている病人相手に、「10回内治療による万病克服」を宣言して実践している小生が、健康保険適用に医師の認可が必要とは、「こわいかに?」
更にひどいのは、国民健康保険適用の診療報酬の最高限度額が、何と1500円。一回の施術につき、1500円です!子供のこづかいよりも低い金額ですね?
こうした滅茶苦茶な事態は、日本の明治以降の「西洋に追いつけ追い越せ」の歴史・文化の流れの中での、現代の私達が抱える大きな歪(ゆが)みであり、課題です。
こうした課題のテキストとして、森 鴎外をあげたい。以下は、小生の『新しい医道の樹立に向かって』の一節の要約です。場違いの感があるが、リアルな迫力があるのでここに掲載します。
【 森 鴎外にみる近代日本の苦悩。森 鴎外(1862‐1922享年61肺結核)。医学博士、文学博士 】 鴎外は、江戸時代、250年間にわたる亀井藩(島根県津和野町)の殿や家臣に仕える医師である「典医」(てんい)の家柄に生まれた。彼は、明治初期の革命期、恵まれた才能と森家の代々の学風の環境の中で、華々しい立身出世の道を歩み、15歳で東大医学部本科生として入学、19歳で異例の若い医学士になった。正に、神童の名を欲しいままにし、ついには、陸軍軍医総監と帝室博物館総長といういわば二つの山の頂に登りつめたのであった。彼の魂の内奥には「官にいて、野に生きることを夢見る」があり、相反する二極性の景色が、怨念がこもった激しい「遺言」につながったと思われる独特の悲哀がある。
鴎外の娘、茉莉の手記『父の帽子』の中の「注射」と「半日」には、生々しい事件が描かれている(森 茉莉『父の帽子』講談社1991)。
「死をさまよっている茉莉(5歳)の隣の部屋には、百日咳で亡くなった幼い姉と弟が寝かされている。残された茉莉もひどい百日咳の咳と高熱におかされ、何日も死線をさまよい、家族も疲労困憊していた最中、母は蒼い顔で祖父を見上げていった。「茉莉を楽にしていただこうと思います。注射で」。「馬鹿ッ!」破れるような声が頭の上から落ちた・・・袴(はかま)の両脇に差し込む祖父の手がぶるぶると震えている。膝の上の注射器を持った往診の医師の手がかすかに動いた──「そういうことならできません」」。茉莉はその後、徐々に回復、かろうじて九死に一生を得たのである。
神童といわれた医師であり、日清・日露の両戦争に従軍して凱旋。輝かしい実績を持つ医師・鴎外が、何故に娘の治療に医師を呼んだのか?自らの手によって二人の実の子を助けることはできなかったのか?三人目の茉莉子が危篤状態に陥った時、往診に参じた医者の「茉莉の最期の注射」を何故止めなかったのか?優秀な医学博士であり文学博士である父、鴎外はどこにいたのか?──こうしたことに、茉莉は一言も触れてない。しかし、「その時の博士の心痛が後に『高瀬舟』を生んだ」と茉莉子の手記にある(森 茉莉『父の帽子』p,69)。
陸軍軍医総監にまで登りつめた彼は、軍医としての任務を果たし、法医学、医学学会、病院のありよう、医事の新聞、薬事などの国家的プログラムに関与した(森 鴎外『鴎外全集 第29巻』岩波書店1989)。しかし、彼の医学上の関心と業績は、ドイツ医学による軍人と国民の健康管理にあった。『鴎外全集全38巻』の中で、医学に関するものは第29巻の一巻だけで、その内容に、本稿のテーマである「独自の病理観とその医」なるものは見当たらない。なるほど、嫡男の責任感に由来する家名と国名を挙げんとする忠誠意識に縛られていた鴎外に、「独自の病理観とその医」を期待するのはお門違いであったようである。
きわめつけは、明治20年代半ばに、鴎外が記した『所謂、和漢方医』(いわゆる和漢派の医)に見られる東洋医学への激しい排撃である。当時の情勢を知る貴重な資料に留まらず、現代にも通じていそうな資料なので全文を載せたい。
以下、筆者が現代語訳に変換。( )は筆者の説明文。「和漢醫」とは、中国伝統医学を日本風にアレンジした医学である。
<いわゆる和漢派医>
「東洋医か西洋医かの論争の時代は既に去った。我らは一人の経験によって代々の医学に当たることは出来ないことを知り、又、和漢医の陳腐な医学は、実際の価値がなく、わずかに歴史的意味があるだけである。今の時代には、唯一つの医学あり。唯2,500年余の(西洋)医学あり。これを基盤にしないものは、世間の鍼医者と変わらない、頑固な皮膚病のようなどうしょうもない医者と変わらない。「からたちの垣根の中に閉じこもっていて、広い世界を知らない狭い医者」と変わらない。
政府が和漢医の余命を図るには「権宜の策」(便宜上の適当な策)あるのみ。和漢医の「請願書」は、帝国議会に於いて何をどうしょうというのであろう?ある訪問客が言う。「和漢医の中に決死の覚悟を持つ者あり。その運動に抵抗する者あれば直ちに行って刺す」と。さてさて物事を悟らない和漢医ものどもよ、よくぞ来て我らを刺そうとするものぞ!よくぞ来て我らを刺そうとするものぞ!」
ここでの和漢医論争は、明治中期、和漢医3万人、西洋近代医学を修めた医師1万人という情勢の中で、和漢医派と西洋近代医学一本を国策にせんとする政府との闘いの最中に起こった。その和漢医論争は、鴎外が主宰する「衛生療病誌」という雑誌に引き継がれる。「学問権」のない「老策士」(和漢医)たちの呼びかけで開催されようとする第2回日本医学会を鴎外は、「反動祭」として激しく攻撃したのであった。しかし、鴎外の和漢医批判は、果たして東洋医学を研究・理解した上でのものであったのか?彼が信奉するドイツ医学が最上のものであったのか?医学の全てであったのか?大きな疑問が残る。
鴎外は、「今の時代には、唯一つの医学あり。唯2,500年余の医学あり」としてヒポクラテス由来の西洋医学の優位性を強調したが、東洋にも和漢医の原点である『黄帝内経素問霊枢』(おうていないけいそもんれいすう)という2500年の歴史を誇る名著がある。私見では、『黄帝内経素問霊枢』には西洋医学の原点といわれる『ヒポクラテス全集』を凌駕するものを秘めており、又、ヒポクラテス医に見られるような危険性もない。鴎外に、「西洋に追いつけ追い越せ」の明治の時代趨勢の中での「西洋偏重の東洋侮蔑」の強い偏見はなかったか?彼には、『黄帝内経素問霊枢』を研究した形跡がないのみならず、2,500年余の歴史を持つと彼が誇る西洋医学の原典、『ヒポクラテス全集』を研究・応用した形跡もない。(ヒポクラテスは、「吸い玉療法」と「焼灼(しょうしゃく:焼きごて)療法」を強く推奨したが、鴎外は全く触れていない)。
〇『黄帝内経素問霊枢』 BC4世紀頃に編纂された中国最古の医学書。本場の中国では失われたが、京都の仁和寺に発見。日本の国宝に認定。2011年ユネスコ世界記録遺産登録。柴崎保三著『鍼灸医学大系「黄帝内経素問霊枢」』(全24巻)雄渾社 1979が当院に有り。
この「所謂、和漢方医」が、こんにちの「和漢医学・東洋医学」の法的・制度的位置づけにどれほどの影響を及ぼしたのかについての具体的経緯は定かではない。しかし、和漢医療・東洋医療を「医療類似行為」と位置づけて、東洋医学・和漢医学の従事者を東洋医師・和漢医師とせずに、「鍼師、灸師、按摩マッサージ師」といった、分断、矮小化した呼称と制度に陥れてあるこんにちの医療行政は、鴎外のもくろみが叶ったものになっていよう。
更に疑問なのは、鴎外が江戸時代の2人の儒家医の歴史小説を敬意をもって執筆、遺していることである。彼が記した『澁江抽斉』(1805‐1858享年58弘前藩の侍医)をひもとくと、医学についての記述は、幕末期の天然痘に対する種痘療法を澁江抽斉が学んだ事と『医心方』の由来についての記述のわずか2ヵ所だけで、抽斉自身の医学研究と臨床についての記述も皆無である。内容の殆どが、抽斉の教養と一族の血筋の経歴をたどることで占められていることは意外で、拍子抜けの感を禁じ得ない。
彼の儒家医を小説にした目的はいかなるものであったのか?それはほかでもない、鴎外自身の「趣味愛好家・道楽・教養主義」の遊びであり、慰めであったとせざるをえないのである。事実、『澁江抽斉』の中で、彼は述べている(『日本の文学31澁江抽斉』ほるぷ出版p,23,61,172『新潮日本文学アルバム1 森 鴎外』新潮社1985 p,44)。
「抽斉は医師であり、官吏であった。経書や諸子の哲学書を読み、歴史書や詩文集の書をも読んだ。私とすこぶる似ている・・・しかし、大きい差別がある。それは抽斉が哲学文芸に於いて、考証家として樹立するを得るだけの地位に達していたのに、わたくしは雑駁なるジレッタンチズム(道楽・教養主義)の境界を脱することができずにいる。抽斉はわたくしの為には畏敬すべき人である」。
鴎外はその後、更に力を込めてやはり儒家医である『伊沢蘭軒』を『澁江抽斉』よりも長い小説に収めている。執筆のスタンスは『澁江抽斉』と変わらないもので、鴎外自身の苦悩の人生の代弁役の色彩が強く出ている。それにつけても、2人もの儒家医を心底敬愛し、小説にまでしながらも一般の和漢医をあれほどまでに排撃したことには、強い違和感が残る。鴎外の父は典医の和漢医であり、彼が敬愛した2人の儒家医も紛れもなく優秀な和漢医であった。これも、官吏の鴎外と深い教養人且つ野人としての鴎外の両極性に引き裂かれた彼自身の苦悩の表明であったのか?そうだとすると、その表明にはどんな意味があるのか?
百日咳で幼い二人の子供を相次いで亡くし、長女・茉莉も死線をさまよい、自らも同じく呼吸器系の肺結核で他界したのだが、彼が信じ、標榜(ひょうぼう)したドイツ医学の衛生学の力では及ばなかった現実を彼はどのように受け止めたのか?
百日咳で幼い二人の子供を相次いで亡くし、長女・茉莉も死線をさまよい、自らも同じく呼吸器系の肺結核で他界したのだが、彼が信じ、標榜したドイツ医学の衛生学の力では及ばなかった現実を彼はどのように受け止めたのか?
灸治療を多くの結核患者に施した原 志免太郎(1882~1991享年108福岡市)がいた。抗生剤がなかった当時、彼は米粒ほどのお灸による結核治療に挑み、多くの人を救った。彼自身、108歳という当時の男性長寿日本一の栄誉をも勝ち得た。彼の意思と意志は現在、遠くアフリカにまで届き、2人のイギリス人鍼灸師がウガンダで、お灸による肺結核治療を行っている。イギリスの「モクサアフリカ」という支援団体の下で。
又、戦前、不治の病といわれた肺結核に罹患。医師である父親に見放された後、民間療法として伝わっていた「吸い玉療法」を独自の研究によって進化させて肺結核を完治。89歳の天寿を全うした逸材に黒岩東五(鹿児島県)がいる。彼は、自ら救われた吸玉療法を基にした健康運動を全国に展開、後継者が育っている。
鴎外には、<和漢派医論争> や <2人の和漢医>などに関わる暇に、ドイツ医学の限界をぶち抜いた上記のような「新しい医学」を提示する道があった。又、百日咳や肺結核なんぞ軽く飛び越える事が出来る医療、そして「安楽死」が不要となる東西両医の超克による「新しい医道」を求め、体現する道があった。彼を死に追い込んだ肺結核を上記の原 志免太郎、黒岩東五両氏は克服したのである。この2人の医学はドイツ医学ではなく、彼が執拗に排撃した東洋医学であった。(黒岩東五が救われた「吸い玉療法」をここでは東洋医学とみなす)。ドイツ医学を超えた医学の道を示す道があった。残念である、、、、
茉莉の手記『父の帽子』に登場する鴎外は上品で、他人と家族との区別がつかないほどの優しさをもって他人に接する比類なき文人であり、父であった。そうした光景に、そこはかとなく漂う鴎外の「優等生の虚構と孤独」、そして、それを見守る娘・茉莉の切ない視線を感じるのである。
【医療従事者における「聖と俗の問題」】は、【教育者における「聖と俗の問題」】、政治、経済、教育。農業、科学これらを突っ込むと数冊の本になってしまうので、ここまでにします。
~ ~ ~ ~
【まとめ】
以上、現代の「世界史的・時代的苦悩と緊張」の只中で、小生、現代の「時代苦」を感じ、診(み)る事が出来ている。苦しむ事が出来ている。背負う事も出来る。故(ゆえ)に、私どもに強烈な情熱と使命が生まれ、幸福者に成る事が出来うるようです。こうした愚痴?を吐きながらも健康に、存分に、「真理の女神」に向かう果てしない闘いが出来ている。やけになったり、ごまかしたりせずに「事の葉」に出来て「ことば」に表現出来ている。これは、私どもの使命であり、幸運であり、感謝すべき事かもしれません。
頭がはげて、前歯が抜けて来ました。これは、病気ではなく寿命の側面が強く、一般治療の対象外のようですが、しかし、治療によって、髪が少し再生。歯は歯科医院で修理。痛み・だるさ等を感じる事もありますが、しかし、これらは、自力による即座の施術による即座の解決法を取得。休む事なく仕事が出来て、百姓が出来て、昨年来の大雪の除雪━━長さ100m、幅6mもの私道のスコップによる除雪も出来ました。米粒大の半分の文字が苦になく読めて、こむずかしい哲学書、経済学書、科学書に体当たり。こうして文章化出来ている。内科薬は50年間のんでいない。車の運転は55年間無事故。前科なし、、、同じように、皆さんは病人に成る事が出来ている。故に、健康者に成る事が出来るのです。
皆さんの心身は、大宇宙138億年の歴史の結晶であり、宝です。無数・無限の縁起による、無数・無限の物質の結晶であり、宝です。目、耳、鼻、口がちゃんと前面についていて、おまけに手足がついていて、歩く事もかけっこも出来て、さまざまな手仕事が出来ている。ケガをした時は痛みを感じ、具合が悪いと感じた時は、悪いと感じる。凄まじい生命力が与えられてあり、病気を治す事も出来る。こうした事が全て出来る、出来ている。それも本来、全てがタダで与えられてタダで出来ている、「とんでもない存在!」です。
よって、「検査機器と薬物が不要、病名と科目別診療も不要による「10回内治療による万病克服」」は、実は、奇跡ではなくごく自然な事、即ち、「自(おの)ずから然(しか)らしめられてある祝い事の「祝事(しゅくじ;造語)」です。こうした気づきは、42年間の皆さんとの出会い・関係によってもたらされたもので、感謝です。時に、支離滅裂な患者さんがいて、愉快な事ばかりではありませんが、皆さんとの出会いがあってこその祝事に違いありません。小生一人の存在によって、かような祝事が生まれる事は絶対にありません。単独では生まれ得ようがない祝事であるからです。
「関係の間」にもたらされる祝事は、「これなくしてかれなし。かれなくしてこれなし」という仏陀おじちゃんの「縁起の教え」のみならず、イエス兄ちゃんの「神の国の教え」にもあります。「神の国はいつ来るのでしょう?」というパリサイ人の問いかけに対し、イエスこたえて言った━━━「神の国は、見られるかたちで来るものではない。又、「見よ、ここにある、あそこにある」などとも言えない。神の国は実に「あなたがたの”間”にあるのだ」」(ルカ伝17章)。
【現代におけるニヒリズムと「聖なるもの」】
アメリカ建国、大草原の小さな家の物語の中心は、教会と学校であった。宗教書の名著『聖なるもの』(オットー)があるが、 等のキリスト教での「聖なるもの」で、日本でのこの復活にはムリがある。日本人日本に点在する沢山の神社、上杉鷹山→これまでの歴史を宗教が、神仏が支えてきた。しかし、→破壊→虚無主義→神仏が必要→しかし、神仏はてあかにまみれて力を失った。永遠性、普遍性がないと、正義、愛、自由が成り立たなくなる→縁起の復活→人間の気づきと人間になる努力
こうした教えの量子力学による「医療の開け」の開明には、永遠・無限の可能性がありそうです。他の文化にも期待出来そうです。
皆様のご理解とご支援をお願い申し上げます。 合掌。 2025,10月。 渡辺 至